The Focal Distance

若さとはこんな淋しい春なのか

雑記

オンラインの憂鬱

以下の記事はnoteから移行したものです。 僕はコンピュータとインターネットがなければ何もできない人間だが、昨今社会で進んでいるオンライン化の波には危機感を覚えている。 どんな変化にも良いことと悪いことがあるし、オンライン化がもたらす益もかなり…

クリスタルなんかどこにもない

以下の記事はnoteから移行したものです。 糸井重里がTwitterでにわかに叩かれているけれど、糸井重里に象徴される1980年代がある面では確かに羨ましくて、というのも本当に悩みのなさそうな、輝いていた時代だからだ。

オリンピックボランティア募集への風刺についての反省と自戒

以下の記事はnoteから移行したものです。 私のことをよく知っている人には、「またこの話か」と言われるかもしれない。しかし何度でもしておきたい。 去年の夏、私は東京五輪におけるボランティアの募集を題材にして、五輪に伴う様々な問題を踏まえた軽薄な…

どこに書くか

文章を書くことが嫌いではない。 山田風太郎のように連日綿密な日記を残せるほどの気力はないけれど、それでも不定期に何かを書いておきたくなる程度の衝動はある。 そのとき悩ましいのが、「どこに書くか」ということ。選択肢が限られているのではなく、む…

オリンピックまであと1年を切って思っていること

以下の記事はnoteから移行したものです。 昨夏、私は東京オリンピックのボランティアに対する皮肉を述べ、局所的な支持を得た。結局ボランティアは十分に集まったようだけれど…… あれから1年を経た今、もはやボランティアの問題にとどまらずオリンピック全体…

面白かった本(2018)

さて、この記事も今年で3回目になるが、面白かった本を挙げていこうと思う。 毎年、どの本を今年読んだのか忘れてしまいがちになるのだが、今年はほんのちょっとだけ読書メーターに登録していたので少しやりやすかった。 本当はそんなのに頼らずに思い出せる…

日記(2018/09/07-2018/09/10)

やることは色々とあるが、Webちくまで連載されている鳥飼茜の日記を読んでいたらなんとなく自分でもここ最近の出来事を整理したくなったので書く。

回顧の夏

以下の記事はnoteから移行したものです。 私は3年生、つまり受験生の夏休みを演劇の稽古やら準備やらにすべて費やして、各クラスごと夏休み明けに文化祭で芝居をやるという酔狂な高校の出である。 昨日は、現役の3年生たちが、鋭意制作している演劇を夏休み…

Webメディアをつくるということ

完全に以下の記事に触発された形になるのですが、「Webサイトをつくってインターネットに公開する」という行為を10年以上やってきた立場から、「Webメディア」という形態について思うところを書きます。 lesamantsdutokyo.hatenablog.com なお、この文章は特…

どうしようもなさを許容する都市としての東京

以下の記事はnoteから移行したものです。 私が生まれたのは横浜の鶴見という、港町特有のダーティな印象のある街だったが、それからすぐ東京——というには心許ないような多摩地区の長閑な街——に越してきて、ひたすら東京の西部を行ったり来たりしてかれこれ20…

考えない日本の私 — さとり世代として

以下の記事はnoteから移行したものです。 「この国には何でもある。本当にいろいろなものがあります。だが、希望だけがない」 この有名な一節を村上龍が『希望の国のエクソダス』に書いたのは2000年のことですが、それから18年を経て、日本からは希望だけで…

ぶっ壊れた人

たまに「変わってるね」と言われる。 僕はありきたりな話だが発達障害なので、そりゃ多少は変わっているかもしれない。 だけど、今のところ大まかにはきちんとした人生を歩んできているし、学校や職場ではない、不特定多数の集まる「社会」では割と常識的な…

偏狭な人間たちによる偏狭な正義

この数千年で、人間の倫理観はそれなりに進歩をしてきたと思う。 しかし、最近では倫理的であること、正しくあることを追求するあまりに逆に正しくなくなっていることがあるのではないだろうか。

コンピュータとインターネットと10年を共にして

以下の記事はnoteから移行したものです。 2007年のクリスマスプレゼントとして僕は初めて自分のコンピュータをもらったので、コンピュータとインターネットを使い始めてから10年が経ったことになる。それまでコンピュータに触れたことはほとんどなく、なぜ自…

面白かった本(2017)

今年も面白かった本を挙げていこうと思う。 今年もあんまり本が読めてないな。というか、新しい作家を全然発掘できていなく、というのももう好きな作家の著作を読んでいくだけで精一杯みたいなところはある。多分だんだん体力が無くなってきているのだろう。…

国立の話

久しぶりにロージナ茶房に行き、国立を散歩したので色々と思うことがあった。 国立は僕が幼稚園から小学校にかけて住んでいた場所の最寄駅であり、中学の時通っていた塾がある場所であり、高校生活を送った場所である。 という訳で、大学に進学して実に久し…

生きていると死にやすくなる

生きていると次第に死にやすくなる、ということに気付いたのはいつだったろう。 最終的に生命がすべて死にたどり着く以上、それは当然のことなのだが、「寿命」とか「老化」といった肉体的な問題以外にも、死にやすさが増していく。 例えば、幼稚園の頃の私…

「本能」でガラスを割っていた椎名林檎はどこへ行ってしまったのか

まずはじめに断っておくと、僕は椎名林檎の熱烈なファンでは全然ない。有名な曲は聞いたことがある程度だ。最近の椎名林檎の活動となると、いよいよ怪しい。そういう人間が書いていると認識していただければ良いと思う。 さて、僕は椎名林檎がデビューした19…

形あるものをつくるということ

先日、知人が通う武蔵野美術大学にお邪魔した。 ムサビ自体もキャンパスの雰囲気が素敵な大学だなと思ったのだが、何よりも良いなと思ったのは形のあるものをつくっていることだった。 その知人は建築学科なので、製図をしたり模型をつくったりしていたのだ…

60年代に生まれたかった

僕は1998年の生まれだ。 2002年に幼稚園に入った。2005年に小学校に入った。小学校を出る直前に東日本大震災があった。2014年に高校に入った。2017年に大学生になった。 うまく行けば、2021年に大学を卒業する。 僕が成長して来た時代は、日本という国が着実…

新宿と渋谷

世の中の人間は二つに大別される。新宿が好きな人間と、渋谷が好きな人間である。新宿も渋谷も好き、というような人間は、どちらも本当には好きではないのと同じである。 僕は街を意味もなく練り歩くのが好きなのだが、それは祖母の影響である。祖母が小さい…

深夜の公園のすすめ

夏が近い。 夏は、夜でも寒くない(下手すると暑い)ので深夜の公園でぼーっとするにはいい季節である。 深夜の公園に行くと、何が得られるのか。公園によって得られるものは違うのだが、その辺にぽつんとある小さな公園では、概ね静けさと孤独が得られる。…

1億2000万の凡人

朝の百人町をぶらぶらと歩いていた。 やがて都営住宅の中にある公園にたどり着き、そこのベンチでぼんやりとしながら公園を行く人々を眺めていた。 身なりの良い、杖のついた老人が静かに煙草を吸っていた。その顔は何事にも興味がないかのように見えた。彼…

幼稚園の頃

僕は1998年の生まれで、2002年から2004年にかけて幼稚園時代を過ごした。 最近のことも全然覚えていられないので、幼稚園の頃の思い出なんてほとんどは詳しく覚えていないのだが、なんとなくあの時代の雰囲気のようなものが良かった気がしている。 僕は国分…

近況

しばらくブログを書かなかった。 大学に入って、新しい環境に馴染むのに精一杯だったからだと思う。まだ馴染めているとは言い難いのだが、最近になって少し余裕が出てきたか。 このブログを作ったのは高3の夏で、同じ高校の人にはすでに自分がどういう人間か…

雑記(2017-03-23)

定期的にくだらないことを書きたくなるし、くだらないことばかり書いていると実用的(と思われるよう)なことを書きたくなる。 昨日くらいに、自分のなかでは実用的な文章を書いたので、今はそうでないことを書きたい。実用的、ではなくて説明的、と書こうか…

思考力と思考について

書店で『論理哲学論考』(丘沢静也訳)と『効率的なWebアプリケーションの作り方』を買ったので、パラパラと読んだ。 まず、『論理哲学論考』より少し引用する。 1.21 ひとつのことはそうであるか、そうでないかのどちらかだが、その他のことはすべてそのま…

ムーブメント

一昨日だったと思う。 夜、立川駅南口のペデストリアンデッキで、女の人が電話をしながら、ふとデッキの柵から身を乗り出して下を覗き込んだ。そのあと女の人はどこかへ歩き去ってしまった。 あの下に何かあるのだろうか? と思って僕も覗き込んだ。暗闇しか…

面白かった本(2016)

今年は前半はあまり本を読まなくて、後半(文化祭終了後)はそれなりに読んだ。順番は特に面白かった順とかではないです。

死ぬくらいなら

自殺した人に向かって「死ぬくらいなら会社や学校をやめたりできただろう」と言う人がいる。 合理的に考えればその通り、どうせ死ぬんだったら会社をやめたって学校に行かなくたって別にいいじゃないか、となるんだけど、そこまで冷静に判断できるような人は…