The Focal Distance

若さとはこんな淋しい春なのか

日記(2018/09/07-2018/09/10)

やることは色々とあるが、Webちくまで連載されている鳥飼茜の日記を読んでいたらなんとなく自分でもここ最近の出来事を整理したくなったので書く。

9月7日
7日の夜にまた例の件でNHKに出たらしく、知り合いからLINEが来たり、祖母からショートメッセージが送られてきたりした。

あの件でいくらか取材を受けたが、あの件に関連して取材を受けるのはもう疲れたなと思う自分がいる。僕はボランティアの専門家ではないし、ましてや同年代の学生の代表でもないし、偉そうにお茶の間に意見を開陳するのは恥ずかしくて仕方がない。インターネットでそれをやるのはあまり恥ずかしくないのに、何が違うのか自分でもわからないが。

新聞など、文章を主体とするメディアは耐えられるが、テレビは厳しい。文章を主体とするメディアは基本的にあらかじめ原稿を確かめさせてくれるのに対し、テレビはそんなことはなく、自分の意見は一部だけが切り取られて、どこが切り取られたのか事前にわからないまま発信される。

8月の終わりにもNHKが例の件を取り上げて、それは事前に連絡があったので録画しておいてあとで見たのだが、その分野に専門を持つわけでもないのにテレビに映って何かを物申している自分の姿は醜悪で、僕は初めてコメンテーターという仕事の存在意義を理解したのだった。専門性のない事柄に対しても意見を述べることを繰り返せるというのは、皮肉ではなく稀有な才能である。

 

9月8日
大学の夏期集中授業で取っていたヨットの授業の最終日で、閉講後授業で仲良くなった人たちと東陽町に飲みに行った。もともと強い方でもないのに、日に日にお酒に弱くなっている感じがする。4日間連続の運動と酔いで疲労困憊したので大学近くに住む知人宅に泊まらせてもらう。

しばらく寝た後、家主と、家主と僕の共通の知人と、煙草を何本か吸ったりくだらないことを話したりする。この前バズった作家を座標軸に当てはめて分類していくやつとか。村上龍の位置が絶対に違うことや知人の読書の嗜好が見かけに似合わずセンチメンタルなことなどで盛り上がる。

 

9月9日
自分のドッペルゲンガーを殺す夢を見て目覚める。そのドッペルゲンガーは常に僕に成り代わろうとしており、そしてとても下卑た人間で常に僕を挑発していた。僕が彼の腕をもぎ取ると、彼は「自分でやった」と周りに吹聴し、そうすると僕の腕も取れてしまうのだった。最終的には首を刎ねたか何かで殺したような気がする。

そんな、非常に目覚めの悪い印象的な夢を見たせいで、思わず「ドッペルゲンガー 夢」と検索してしまう。夢占い的なページには「ドッペルゲンガーは自分自身の象徴です」などと書かれている。あの下卑た言動は自分自身のものか、と思うと納得がいかないでもなく、また「ドッペルゲンガーがニヤニヤと微笑んでいたら、自分に人生史上最大のピンチが襲いかかる予兆です」と書かれているのを見て、非科学的だと思いつつ不安になる。フロイトではないが、夢というものに大きな関心がある。

そんなこんなで友人宅を後にし、シャノアールでブランチを食べて、しばらくのんびりしたあと母校の同期Oを誘って東京藝大の学園祭、藝祭に行った。

藝祭には去年初めて行って、その猥雑な雰囲気がとても良かったので今年もぜひ行こうと思っていたのだ。早稲田からバスで向かったのだが、ぼんやりと音楽を聞いていたら乗り過ごしてしまい、池之端からだいぶ遠回りしながら、暑い暑いと思いつつ歩く。

Oと待ち合わせしたのち、美術学部に進学した別の同期に連絡を取って、彼が「顔を出している」という出店に行く。その出店に会田誠がふらっと何かを買いに来ていて、このお祭りは会田誠がふらっと歩いているのか、と感心する。そのあと藝大の同期がお勧めという美術作品の展示をぶらぶらする。芸術の良し悪しというものがいまいち判らないが、とにかく作品を生み出して行くのは精神的に大変だろうなということだけを気にしてしまう。

Oはバイトがあるというので途中で帰り、藝大の同期もどこかに行ったので2人のヴァイオリニストが踊りながら演奏しているのを見ながら、ジンジャーエールを飲み煙草を吸う。その後、スマホの充電がなくなって来たのと、ついでにご飯でも食べに行くかと大学を出ようとしたら、ラップのようなものでぐるぐる巻きにされながら打楽器を演奏するというパフォーマンスをやっていたのでしばし眺める。うまく言葉では伝えられない。

大学を出て日暮里の方に歩く。途中、古びた台湾の甘味屋とか喫茶店とかいい感じの店がたくさんあってこの辺りは素晴らしいなと思う。谷中霊園を通り過ぎる。日暮里でネットカフェに入って充電をしばらくした後、松屋でご飯を食べる。セルフサービス型の松屋で、食券に記載された番号がやがて呼ばれて、そうしたらカウンターに取りに行く仕組みになっている。番号を呼び出す自動音声が、銀行とか郵便局の窓口のそれと似ていて、あまり食事をするところという感じがしない。

食事を終え、もうひとり別の高校の同期Fと藝大で待ち合わせる。彼は昼間は母校の文化祭を見ていて、はしごする形だ。ちょうど、藝大の音楽学部に進んだ、これまた高校の同級生がビッグバンドで演奏する時間だったので見に行く。とても盛り上がっていて、音楽は美術と違ってなんとなくわかりやすくていいなと思う。もちろん、彼らはわかりやすい音楽をあえてやっているのかもしれないけれど。その盛り上がりの裏で誰かが倒れたのかAEDを持って走る藝祭の実行委員が通り過ぎていき、悲喜交々という言葉が思い浮かぶ。倒れたと思しき人はやがて車椅子で運ばれていき、意識はあるようだったので安心する。

その後、美術学部のステージでサンバの演奏をやっているのを見る。こちらも非常に盛り上がっていて、前の方はひたすらモッシュしていて摂氏50度くらいあるのではないかというくらいの熱気。最初は後ろの方で見ていたのだがあまりの盛り上がりに前の方に割り込んで行った。暑い上に重い荷物を持ちながらモッシュするのはたまらなかったが、最後までここにいようと思いなんとか踏ん張る。最後の曲が終わって群衆の外に抜け出したらアンコールが始まって、もう一曲やっていたがそこでモッシュに加わる元気はなく、実行委員が配布していた水をいただく。Fを見失った。

Fと連絡がつき、美術学部の大きな喫煙所に向かう。先ほど登場した美術学部の同期が遠くで学友と思しき人たちにご高説を垂れているのを、二人で眺める。20時を過ぎて実行委員の方が追い出しを始めたので、「藝大なのに20時で追い出しなんて真面目だなあ」などと話しながらキャンパスを出て、ガード下にあるせんべろで知られる飲み屋に行く。初めて入ったのだが食べ物はなんとも言えない味をしており、「美味しいと不味いの中間」とFが表現していた。牛串は普通に美味しかったが。

店を出て、随分充実した1日だったなと思いながら、駅でFと別れて、所用があり早稲田の友人宅に向かう。夜遅かったのでそのまま泊めさせてもらう。

 

9月10日
朝から用事のあるという友人に起こされて目覚める。ドトールで朝ごはんを食べて、数日ぶりに家に帰る。何もすることがない。4日間連続のヨットと、昨日上野近辺を練り歩いたためか、体の節々が痛む。

国立で降りると高校時代のクラスメートとばったり遭遇する。高校を出て1年半以上経ったのに同期と会ってばっかりだなと思いつつ、少し世間話をした。家に帰ったのち、やることはあるのに何もしたくなかったので鉛筆で煙草のパッケージをスケッチブックに模写したり、この日記を書いたりして過ごす。Facebookで高校の後輩が文化祭や自分のクラスについて赤裸々な投稿をしているのを見て素晴らしいなと思う。正直な文章は人の心を打つ。

両親が何かで家におらず、小学生の妹は彼女の友人と、その親御さんと一緒に習い事に行っており、これまた小学生の弟と僕だけが家にいる形になり、ご飯代が置いてあったので出前を頼む。

出前が届いたので、久しぶりに弟と一緒にご飯を食べる。流れていたニュースで「中朝の蜜月関係」と出ていたので「蜜月ってどういう意味か知ってる?」と弟に聞いたら「仲良し」と返ってきて、子供っていつの間に成長するんだなとしみじみする。