The Focal Distance

若さとはこんな淋しい春なのか

ぶっ壊れた人

たまに「変わってるね」と言われる。

僕はありきたりな話だが発達障害なので、そりゃ多少は変わっているかもしれない。

だけど、今のところ大まかにはきちんとした人生を歩んできているし、学校や職場ではない、不特定多数の集まる「社会」では割と常識的な振る舞いをしているとも思う。

 

 

そんなものではなく、世の中にはとんでもなく変わった人というのがいて、そういう人を見ると、すごいな、と思ったり、少し憧れたり、あるいは全く憧れなかったりする。

たとえば、家の近くにとんでもない濃い化粧をして、謎の派手な衣服を着て、たまにその辺の子供に怒鳴り散らしたりしながら自転車でうろついている婆さんがいる。

あるいは、大学の前のちょっとしたロータリーのようなところに佇んで、いっつもなんかの音楽を聞いているおじいさんとか。この人は文キャンおじさんとかフランスおじさんとか呼ばれて、大学ではちょっとした有名人なんだけど。

こういう「困った人」というのは結構至るところにいるし、それでも毎日生きている。

あとは、今までに挙げた人々はどうやって暮らしているのかもよく定かではないが、昔知人の女性が混雑した電車の中でいきなり男に蹴られたことがあった。そのとき一緒にいたのだが、荷物が当たったとかそういうことだったと思う。そんなことでいきなり女性を蹴るような男が、社名の入った作業着を着ていて、こんな短気な人でも社会の一員として働いてお金を稼いで暮らしているんだなと思った。

 

 

今でも結構適当に生きているつもりなんだけど、それでもまだ教育や常識といったものに囚われて行動している部分は大きい。それは別に必ずしも悪いことではないと思うのだが、思考停止に陥っているような気分にもなる。

もうちょっと自由に生きても、上に挙げたような人たちのことを思えば、多分生きていけるんだろうな、という気がしている。まあ、死んだ人は目につかないので、わからないけれど。