The Focal Distance

若さとはこんな淋しい春なのか

面白かった本(2018)

さて、この記事も今年で3回目になるが、面白かった本を挙げていこうと思う。

毎年、どの本を今年読んだのか忘れてしまいがちになるのだが、今年はほんのちょっとだけ読書メーターに登録していたので少しやりやすかった。

本当はそんなのに頼らずに思い出せる本だけを紹介した方が良いのだろうけど。

 

ちなみに、過去の記事は以下。

 

krg.hatenablog.com

krg.hatenablog.com

 

今年も例によって面白かった順とかではないです。

 

山田風太郎『戦中派不戦日記』

山田風太郎青年が1945年の1年間につけた日記。この頃彼はまだ職業作家ではなく今年世間を騒がせた東京医科大学の前身にあたる医学校に通う学生だった。

もちろん、出版にあたって加筆や修正も十分あるのだろうが、それを考慮してもこの著作の価値は損なわれない。エリート特有の冷笑さを持ちながらなお十分に愛国的な精神をうかがわせる描写は、当時の愛国的教育の強靭さを示しているように思われる。それを育んできた社会はすべて8月15日に一転する。激動の1年である。

それにしても、よくもまあ毎日毎日この分量の日記を書いたものだなと思わざるを得なかった。それは当然作家にもなるものである。

 

『戦中派不戦日記』を読んだあと、 1946(昭和21)年以降の日記にあたる『戦中派焼け跡日記』『戦中派闇市日記』も読んだ。これらは筆者の没後の出版であるため比較的編集の度合いが少ないのではないかと思われるが、「不戦日記」の方が面白さは上だった。昭和20年という特別な1年だったからかもしれないが。

戦中派焼け跡日記 (小学館文庫)

戦中派焼け跡日記 (小学館文庫)

 
戦中派闇市日記 (小学館文庫)

戦中派闇市日記 (小学館文庫)

 

 

会田誠『青春と変態』

青春と変態 (ちくま文庫)

青春と変態 (ちくま文庫)

 

面白い。抜群に面白い。会田誠がまだ世に出るまえの若い頃に、身内の同人誌に載せるために書かれたという作品らしいが、普通にその辺の作家の作品よりずっと面白いので感嘆してしまう。

というものの、私の琴線を見事に刺激しただけで、これはノーマルな性壁を持った好青年のみなさんには薦められないかもしれない。といってもバタイユの『眼球譚』とかそういうレベルではなく、日本人の少年少女が持つべきアブノーマルさとして十分に想像できる範囲の変態性なので、おそらく大丈夫だとは思うのだが。端的に言うとスキー合宿で女子トイレを覗く話なのだが、そんな単純で低俗な話では断じてない。

エロティックな描写もだが、(筆者と同じ名前を持つ)主人公の人間に対する洞察と描写も優れていて、楽しませてくれる。

 

リオタール『ポスト・モダンの条件』 

ポスト・モダンの条件―知・社会・言語ゲーム (叢書言語の政治 (1))

ポスト・モダンの条件―知・社会・言語ゲーム (叢書言語の政治 (1))

 

もともと建築の世界で生まれた概念であるポスト・モダンが思想の世界で大きく花開くことになったのはリオタールがこの本を著して以降のことである。

思想・哲学のジャンルの書籍にしてはだいぶ読みやすく、私のような専門外の人間でも読み解くことができた。筆者の提唱するパラロジーによる正当性の考え方は「多様性」が声高に叫ばれるようになった現在、もっと注目されても良いであろう、と思う。ポスト・モダンという言葉だけが(流行がだいぶ過ぎた感もあるが)バズワードのようになっていて、その本来的な意味や考え方はなおざりになっているように感じられる。

 

ちなみに、以下のリンク先の論文が本書の適切な梗概となっていて参考になる。

ci.nii.ac.jp

 

村上龍69 sixty nine

69 sixty nine (文春文庫)

69 sixty nine (文春文庫)

 

有名だしよく薦められている本なので読んだことのある方も多いと思うが、1969年に高校3年生であった村上龍の体験が元になっている小説である。私は真っ当な学生生活を送れていないので、せめてそれがまだ肯定されていたであろう1969年に青春時代を過ごしたかったと思うばかりである。

村上龍の著作のなかではだいぶ明るい。社会派の小説もそうでない小説も残虐な描写や謎の後ろ暗い雰囲気の漂っている作品が多いが、この作品は底抜けに明るくて読みやすい。

今年は村上龍だと『オールド・テロリスト』も読んだのだが、その(前編に当たる)『希望の国エクソダス』以上の救いのなさには絶望してしまい、1969年と2010年代の途轍もない距離を実感してしまった。私はなぜこんな時代に、と思うが悔やんでも仕方がないのでひとりだけ1969年のつもりで生きていこうと思う。

オールド・テロリスト (文春文庫)

オールド・テロリスト (文春文庫)

 

 

西村賢太苦役列車

苦役列車

苦役列車

 

これも非常に有名な作品だが、今更のように読んで、こんな作品は自分にはとても書けないだろう、と思った。

私がこういったルサンチマンに満ち溢れた私小説を書いても、結局のところそれは、傲岸な物言いで恐縮だが、せいぜいが「エリートコースを外れた」人間の贅沢なルサンチマンになってしまう、と思った。ちょうど作者が、田中英光(ちょうど、私の学部の先輩にあたる)に一旦心酔したものの、「結局彼はエリートで物足りなさを覚えた」ように。

その点父が性犯罪で逮捕され、母子家庭で育ち、中卒で日雇い仕事をして生計を立てていた作者が描くルサンチマンは凄まじい。西村賢太の作品にしばしば登場する主人公「北町貫太」は屑で下劣でどうしようもない人間である。私も屑で下劣なことには変わりがないのだが、私よりもそうである。暗くてじめじめした小説だが、私小説だけが持ち得る魅力がある。芥川賞の選考では石原慎太郎が高く評価したらしいが、そういう感じだと思ってもらえれば良い。

 

オイゲン・ヘリゲル『日本の弓術』

日本の弓術 (岩波文庫)

日本の弓術 (岩波文庫)

 

ドイツ人の筆者は、大正から昭和の初めにかけて東北帝国大学の哲学教授として赴任し、そこで日本に対する理解を深めるため弓術を習う。

西洋のバックグラウンドを持つ哲学者という、極めて合理的な精神の持ち主が、弓術を通して日本的な「禅の精神」を会得していくまでの過程を講演し、その書き起こしの訳にあたる。

私は日本で生まれ育ち、日本人の両親を持つ日本人だが、もはや私には、作中で日本人の阿波研造が教える弓術の精神よりも、ヘリゲルが弓術を習う上で感じた戸惑いの方が共感できる。現代の日本人は大抵がそうなのではないかと思う。ここで記されている弓術の精神は、「本当にそんな精神が成立し得るのだろうか」と思わされることが多い。

この本は、2016年の「面白かった本」でも取り上げた、森博嗣の『喜嶋先生の静かな世界』で引用されており、それで読み始めたのだが、禅の精神、日本的な考え方に興味を持ったので、ヘリゲルの他の著作を読むなどして、来年はそれをもう少し深めていければ良い。薄くてすぐ読めてしまう本だが、現代の日本人にとってはとても印象的な内容であると思う。

 

山田航『桜前線開架宣言』 

桜前線開架宣言

桜前線開架宣言

 

本人も1985年生の歌人である山田航が、「穂村弘以降」と題して、1970年以降の生まれの若手歌人の短歌と、それに対する山田の評論を集めた、いわば「若手歌人事典」のようなもの。

私はこう見えても短歌に興味があり、歌会など一度も出たことがないため誰も知らないだろうが、早稲田短歌会にも籍だけ置いている。そのくせ短歌の本となるとあまり置いていないし高いし(という言い訳)で、穂村弘のエッセイやTwitterbotくらいでしか現代の歌人の短歌を知ることができないのだが、この本のようにパーっとそれぞれの歌人の代表作十数首と分析が並べられていると、お気に入りの歌人を見つけ出すことができて便利だ。

短歌の世界にまだ触れていない人に対しては、穂村弘のエッセイを導入としてこの本を紹介すれば沼に落とすことができるのではないかと思う。

 

堀江貴文我が闘争

我が闘争 (幻冬舎文庫)

我が闘争 (幻冬舎文庫)

 

堀江貴文は、世間で思われている印象や言動からすれば、私のような人間は彼のことを嫌いであってもおかしくないのだが、彼のことはそこまで嫌いでもない。結局不器用な人間に過ぎないのだなという感じがするからだ。

この本は堀江が服役中に書いたという自叙伝である。東大駒場寮で競馬に熱中するなどダメ人間として燻っていた頃から、コンピュータの技能を活かして会社を興し上場に至るあたりまでの経緯は、青春の記録という感じで素直に面白く読める。

ちなみに、作中で描写される逮捕された後の検察のやり口は、日本特有の中世的司法そのもので、こんなクソッタレみたいなシステムは早く変えなければいけない、と思うし、堀江さんみたいな人間がその辺を変えて欲しいものだと思うが、彼ももう官憲には反抗したくないだろうし、と思って暗い気持ちになる。

 

2016年から早3回目のこの記事、毎年終わりに「来年はもっと本を読もうと思った」というようなことを書いているが、2016年が一番読めているという……。今年と去年はあまり変わらないかなと思うが。2016年は私は受験生で、全然勉強する気になれず、周りはみんな勉強に勤しんでいて、とにかく孤独で暇だったので本でも読むしかなかったのだ。最後に紹介した堀江貴文も服役中に200冊ほど読んだと聞くが、孤独で暇な時間がないと本ってたくさん読めないのだろうなと思っている。

となると、来年も大学生活を送る以上はそれなりに孤独でもなくそれなりには忙しいだろうので、結局今年くらいにしか読めないのだろうなと思う。定年するか収監されるかまで本をたくさん読める時間がなさそうだが、ぼちぼち時間を見つけて良い本を読んでいきたいなと思う。