The Focal Distance

若さとはこんな淋しい春なのか

1億2000万の凡人

 朝の百人町をぶらぶらと歩いていた。

 やがて都営住宅の中にある公園にたどり着き、そこのベンチでぼんやりとしながら公園を行く人々を眺めていた。

 身なりの良い、杖のついた老人が静かに煙草を吸っていた。その顔は何事にも興味がないかのように見えた。彼は何を楽しみに生きているんだろうと僕は思った。サラリーマンが何人も通りかかっていった。一様に無表情で、だいたい缶コーヒーを片手に持っていた。作業服を着たおじいさんが鳩にパン粉のようなものをばらまいてやっていた。そうして鳩がパン粉の方に集って行ったところでゴミの分別をし始めた。老人が太極拳のようなものを、ラジカセで音楽を流しながらやっていた。小学生が大量の空き缶をビニール袋に入れて学校へ向かっていた。

 この公園にいる人々は誰も天皇生前退位共謀罪の法案に特段の興味は抱いていないだろうと思った。彼らは決して国会議事堂の前でデモに参加して、テレビカメラに向かって自分の意見を主張したりしないだろうと思った。

 テレビカメラに向かって自分の意見を主張する人ばかりが世の中では目立つが、彼らのような人種は人口のごくごく少数で、世の中の大多数は、朝の百人町の公園にいるような人々だ。習慣的な毎日を過ごし、たまの贅沢で家に寿司を買って帰り、スーパーのチラシを見て家の近くのどちらのスーパーの方が安いかを比較している人々だ。テレビカメラに向かって自分の意見を主張する、才気溢れる(あるいはそのように自分を見せることのできる才能がある)人々ではなく、1億2000万の凡人がこの国を動かしているのだ。

 名もなき1億2000万の凡人のことを大切にする世の中になればいいなとベンチでぼんやりと考えていた。