The Focal Distance

若さとはこんな淋しい春なのか

生きていると死にやすくなる

生きていると次第に死にやすくなる、ということに気付いたのはいつだったろう。

最終的に生命がすべて死にたどり着く以上、それは当然のことなのだが、「寿命」とか「老化」といった肉体的な問題以外にも、死にやすさが増していく。

例えば、幼稚園の頃の私は、庇護を受けなければ暮らすことができないという点でもっとも脆弱かに見えるが、その実、例えば今庇護を与えてくれる者がいなくなったとしても、ほとんど自動的にまた別の者(親戚や自治体など)が庇護を与えてくれるという点で、実際には死から遠い場所にあるのだ。

また、幼い私は「大切にされる」一方であり、他者を大切にする、という感覚を持ち合わせていない。自分でない他人に何があっても、私はほとんど損なわれない。

 

それが今はどうだろう。

私は今なお親の庇護のもとで悠々と暮らしているが、それもあと数年のことだろう。他者の庇護を受けて暮らすハードルはどんどん上がって行く一方ではないか。そうしたら自分で自分の生活を維持していかなければならない。これは死に近い。

また、精神的にも脆くなる一方ではないだろうか。生きていれば、それなりにいろいろなことがあり、その中でお世話になった人、大切な人、というのも出てくる。そういった人の身に何かあったとき、私という人間までも損なわれる。大きく損なわれれば、死を選ぶこともあるだろう。

 

幼いころの、か弱い私が、実際には生物として一番強靭で、それなりに成長した今の私の方が、生物としてより脆弱だ。