The Focal Distance

若さとはこんな淋しい春なのか

幼稚園の頃

僕は1998年の生まれで、2002年から2004年にかけて幼稚園時代を過ごした。

最近のことも全然覚えていられないので、幼稚園の頃の思い出なんてほとんどは詳しく覚えていないのだが、なんとなくあの時代の雰囲気のようなものが良かった気がしている。

僕は国分寺で祖母と二人暮らしをしていた。父親はおらず(僕は実父の顔すら見たことがない)、母親は僕と祖母を養うために働いていて、あまり家に帰ってこなかった。それでも僕は寂しさを感じた覚えはなく、というのも祖母は僕のことを溺愛していると言ってもいい状態だったし、母も自分のことを大事にしてくれていることが会えばわかった。

祖母はあまり家でじっとしているのを好むタイプではなく、そんな人に育てられたせいか僕もそうなってしまった。

幼稚園が終わると、木曜日は必ずバスに乗って東大和イトーヨーカドーに行っていた記憶がある。なぜ木曜日だったのかは覚えていない。多分、幼稚園の後に行っていた学研教室の曜日だったとか、そういう理由だと思う。

イトーヨーカドーの中に入っているポッポでよくポテトやソフトクリームを食べた。書店で何か本を買ってもらえるまで帰らず祖母を困らせた。よくクレヨンしんちゃんの漫画を買った。

土日はよく科学館や博物館などに行ったりした。多摩六都科学館に何度行ったことだろう。あとは図書館にも頻繁に行っていた。家から最も近かった、国立の北市民プラザ図書館にばかり行っていた。図書館には漫画はないので、図鑑をよく読む子どもだった。北市民プラザのロビーで瓶のビックルを常に飲んでいた。

他に、家の近くには江ノ島フードセンターという1970年代にできたスーパーがそのまま現代まで生き残ったみたいな感じの店があって、よくそこでフルタ製菓チョコエッグを買った。中身よりもあのチョコレートが好きだった。あとは老夫婦が営む中華料理屋があって、ラーメンなんかを食べに行くと必ずみかんなどの果物をお土産にくれた。どちらの店も幼稚園を出る前には閉店してしまった気がする。

家の目の前は国税庁防衛庁の職員宿舎で、必然的に僕の友達は公務員の息子や娘が多かった。そんな中で僕は髪が金髪だったり片親だったりなかなかファンキーな幼稚園児だったのだがみんな本当に良くしてくれた。それらの職員宿舎も僕が小学校に上がる頃だかに建て替えの話が持ち上がり、今ではもう見る影もない。

 

高校に入ってから、自転車で幼稚園の頃住んでいたあたりを巡った。家の近くにあったオリンピックにはまだ古臭いマクドナルドが入っていた。北市民プラザのロビーにはまだビックルがあった。防衛庁の職員宿舎は近代的に生まれ変わっていた。僕の幼稚園で働いていた先生はおそらくもう誰もいなかった。変わらないものも変わってしまうものもある。どちらにしろもうあの頃に戻ることはできないし、実際のところ戻りたいとも思わない。

世の中はどんどん混沌としてきている気がするし、自分も周りの人間も成長したので余計な機微が発生するようになったし、辛いことも多い。だけれども技術は進歩し(スマートフォンがなかった頃、世の中の人は何をしていたんだろう?)、自分でできることは格段に多くなり、楽しいことも増えた。

ただ、たまに幼稚園の頃が懐かしくなる。僕が生きてきた中で、幼稚園の頃が一番静かで落ち着いた生活を送れていた。平和で、幸福で、純粋な時代だった。生きていると勝手に物事が複雑になっていって、いつのまにか自分のキャパシティを超えている。そんな時、シンプルで陽気だった生活をふと思い出すのだ。