The Focal Distance

若さとはこんな淋しい春なのか

102のこと

 俺は父親の顔を知らなかった。今でも知らない。知りたい、とは少し思うが興信所に頼むのに必要な手間や金銭的な損失を厭わなくなるほどではない。どうせろくでもない奴だろう。既にどこかで野垂れ死んでいるのかもしれない。それさえもわからない。
 父親がどういう人物かはどうでもいい。重要なのは父親の不在だ。そしてもうひとつ重要なことだが、母親は美人だった。息子が、自分の母親を美しいと形容するのはナルシシズムのようなものが感じられて抵抗があるが、その躊躇いもなくなる程度には。
 実際、幼い子供、つまり俺を連れていても頻繁にナンパされていた。子を伴う女に声をかけるというのは、どういうつもりなんだろう、と今は思う。仮にそれが首尾良く運んだらどうするのだろうか。一緒にディズニーランドでも行って疑似家族団欒をやるのだろうか。
 実際にそれをやった男がいた。さすがにディズニーランドではなかったが、ロイヤルホストに行った。俺からすれば似たようなものだ。どちらも必要以上に高い。
 普段ナンパをすべて、完膚なきまでに無視していた母が、どうしてその男にはついていったのかわからないが、幼稚園児には機微のわからない繊細なコミュニケーションの末、母はその男と一緒に暮らし始めた。俺も否応なくそうなった。

 一緒に、と言ったがそれは正確ではない。母と男は同じアパートに住んだが同じ部屋ではなかった。母と俺は202号室に、男は102号室に住んだ。だから母は男のことを「102」と呼んだ。俺もそう呼んでいた。
 102は子供は嫌いではなかったらしく、俺に優しかった。よくミニカーや図鑑を買い与えてくれた。母にはもっと優しく、というかほとんど言いなりだった。母が「米を買ってきて」と電話すると買って202号室に届けてきた。米を運んできた102に「皿を洗って」と言えば洗った。
 母は102と結婚しなかった。恋人と呼べるような関係だったのかもわからない。俺は自分に父親がいないということを既に理解しており、102が父親ではないということもわかっていた。母にとっては配偶者の、俺にとっては父親の不在を代替するような存在ではなかった。しかし部分的にはその機能を果たしていたし、果たしている部分については一般的な父親よりはるかによく果たしていた。

 しばらくそういう奇妙な生活が続いて、俺は小学校にあがった。その頃には102が202号室に来るだけではなく、母と俺が102の部屋(つまり102号室)に行くこともあった。なぜかその部屋の光景をはっきりと覚えていて、それは長ずるにつれてよく目にするようになった部屋と似ていた。若い男性の一人暮らし、という言葉からイメージされるよりかは多少きれいなものだ。わりと几帳面な方だったのだろう。102の部屋にはプレイステーションがあって、3人でよく桃鉄をやった。
 桃鉄、桃太郎電鉄は日本列島を舞台にした双六ゲームで、プレイヤーは鉄道会社の経営者となり、ランダムに決められる目的地に一番早く着くことを目指しつつ、道中で不動産を購入したり、特殊な効果のあるカードで他のプレイヤーを妨害したりして、最終的に定められたゲーム内でのターン数を終えたときにもっとも総資産が多いプレイヤーが勝利する、というゲームである。
 俺はそれを通して日本の地理を把握したと言っても過言ではない。母は桃鉄が強く、よく俺や102に大勝していた。今思えば、102はよく俺にも負けていたので手心を加えていたのかもしれない。ゲームで102を妨害することで嗜虐的な精神が満たされるのか、母の現実の振る舞いはいくらか優しいものになり、以前のような苛酷な要求をすることはなくなっていた。少なくとも、お米を買いに行くのと皿を洗うことを続けざまに頼まなくはなった。

 そのような安穏とした日々が続いていたのだが、ある日、学校から帰ると母が「102とはもう会えない」と告げた。俺は102にかなり懐いていたので悲しくないわけではなかったが、同時に102とずっと一緒にいるわけでもないのだろう、とどこかで理解していて、それほどの衝撃を受けたわけではなかった。その日、プレイステーションと桃鉄を買ってきて母と俺とCPUで対戦した。十分に楽しかった。

 102号室は数ヶ月の間空き部屋となっていたが、しばらくして三十路のサラリーマンと思しき男が住み始めた。その人が2代目の102だ。俺の認識しているところでは、当初は母と何ら関係のないただの一人暮らしの男だったのだが、なぜか彼も母に尽くすようになってしまった。102(初代)がいなくなったことより102(2代目)が現れたことの方が衝撃だった。102(2代目)は102(初代)より少し無愛想だったが、やはり優しい人だった。
 中学に上がる頃、102(2代目)は北の方へ引っ越したと告げられた。それがなんらかの不和によるものなのか、先方の事情によるものなのかはよくわからない。102(2代目)はそんな義理もないだろうにいくばくかの金を残していったらしく、母はそのお金を「遺産」と呼んだ。おそらく死んではいないので不謹慎にもほどがあるが、そういう種類のユーモアを好む人だった。母がどこからか定期的に手に入れてくる金と、その遺産で母子家庭のわりには恵まれた暮らしをしばらくした。

 102号室はといえば、また数ヶ月空き部屋となって、今度は女性が引っ越してきた。彼女は有り体に言えば水商売風の身なりの人で、実際には何の仕事をしているのかはよく知らないが、とにかく102(3代目)にはならなかった。102という存在はもうないのだな、と102(初代)や102(2代目)のことをときどき思い出した。
 俺の高校受験と前後して、女性は引っ越していった。志望した高校に無事に合格し、入学式を迎える頃、102号室に男性が引っ越してきた。四十路くらいだろうか、年齢は判然としないが50は行っていないだろうというくらいの人で、背広を着ている姿を見たことはない。髭を生やしていて、なんらかの業界の人、という感じだった。
 後に判ることだが、彼は実際に業界人で、フリーランスとして映像制作の仕事をしていた。なぜそんなことが判ったかというと、彼が102(3代目)になったからだ。そうなったと知ったときは、母に対する畏怖と尊敬が同時にやってきた。

 母も年を取って丸くなり、また安定を求めるようになったのか、俺が成人するのを待って102(3代目)と結婚し、郊外のもう少し広いマンションに引っ越して同居するようになった。こうして3代に渡った102は本当にいなくなり、母は彼を名前で呼ぶようになったのだが、俺はかたくなに102と呼び続けた。
 102(3代目)としては、お父さんとか、それは無理でも名前で呼んで欲しかったようだが、もはや俺には102は102でしかなく、むしろとってつけたような「お父さん」とか「親父」なんて呼び方より遙かに親しみを持てたのだが、102(初代)が一番好きだったとか、もう102号室にはおそらく別の人が住んでいるとか、いろいろなことを考えて、大学を卒業する頃には102と呼ぶのをやめた。

 いまは608と呼んでいる。これが彼にはふさわしいと思う。