The Focal Distance

若さとはこんな淋しい春なのか

鷺沢萠のこと

鷺沢萠(さぎさわ・めぐむ)という作家がいる。

1968年生まれ。学芸大附属世田谷中学校、都立雪谷高校卒。上智大学外国語学部ロシア語学科除籍。19歳で文學界新人賞を受賞しデビュー。2年後には芥川賞の候補にもなっている。

鷺沢萠の話をTwitterなどで何度かしているし、僕にとって特別な作家だ。 若くして才能を発揮し、何度も芥川賞や三島賞の候補になり、小説も優れているのだとは思うがそこまで好きではなく、ではなぜ特別なのかというとエッセイが良い。

エッセイもしかし、世間的にはすごく優れている、というわけではないと思う。小説の方が評価されているんじゃないかな。でも、80年代の終わりに上智で学生をやっていた、ヘビースモーカーで、麻雀が大好きで、マニュアル車を乗り回す、才能にあふれる勝ち気で強い女性と、その周りの人々の(今から見ると陽気な)生活、その空気みたいなものがそこには閉じ込められている。

三宿のレストランに車で乗りつけてうまい料理をたらふく食べてワインをがぶ飲みし、ホテルを借りてまた鯨飲。合間には麻雀。友人と突発的に海外へ。なんだか豊かすぎる。246と山手通りと青山通りが主戦場なのか。なんで学生なのにみんな車を持ってるんだ。

別に同時代の大学生や同時代の日本人がみなこれほど遊んでいたとも豊かだったとも思わないけれど、そうは言っても、こういう元気で強くて遊びまくっている人が、もう周りには全然いない。女性ならなおのことだ。

今の主流の雰囲気は、わりと真面目に授業に出て、ほどほどにサークルに参加し、サークルではそんなに高くなく良くもない居酒屋で飲み、3年になると急にTOEICと就活の話しかしなくなり、無難な卒論を書いて卒業する、みたいな路線になんとなく乗っかろうとしている感じがする。当時の主流は、もう少しお金のある方向で、そしてもう少し遊ぶ方向だったのではないのかなと思う。

そういう失われた豊かさに憧れるので、彼女のエッセイにはなんだか当てられる。当人たちはそれをそこまで豊かだとも思っていない感じがするのもすごい。あまりに時代の空気を閉じ込めてしまったばっかりに、時代を超えた普遍性みたいなものには乏しい。だから2021年を生きている人の多くにとって面白いものではないんだろうし、事実エッセイの多くが絶版になってしまっているけど、自分には特別刺さる。

最初に鷺沢萠のことを知ったのは、自分の誕生日をWikipediaで見ていたときのことだ。そこに名があった。誕生日が一緒なのではなく、命日がその日で、2004年に36歳で亡くなった。死因は、色々な意見があるが一般的には自殺と考えられている。

そんな訳はないんだけど、彼女は日本が豊かだった時代の寵児で、だからそれが失われる時代には生きられなかったのではないかな、などと思ってしまう。そういうことを、国の威信をかけたであろう行事すらまともにできそうにないくらい劣化してしまった日本の姿を見ながら思った。鷺沢萠が生きていたら、いま何を書いているのだろう。