The Focal Distance

若さとはこんな淋しい春なのか

冬とオリオン座とスーパーカー

以下の記事はnoteから移行したものです。

 

年齢がひと桁くらいの頃はわりと天文少年で、同居していた祖母を連れて三鷹の天文台に遊びに行ったり、星座盤片手に公園で双眼鏡を覗いたりしていたが、その後ほかのことをたくさん覚えなければいけなくなるにつれて、星座などほとんど忘れてしまった。

僕が今でもなお認識できる星座のひとつがオリオン座で、冬を代表する星座だ。


中学と高校の長い時間を、東京の西の方にある国立という街で過ごした。中学のときは国立駅前の塾に通っていて、その甲斐あって国立にある高校に入ったためだ。

自宅から国立駅まではだいたい15分くらい自転車を漕ぐ必要があった。冬は受験が間近となる季節だから、毎日のように塾に通っていた。

冬期講習やら直前特訓やらを終えて自宅が同じ方向の友達と自転車を漕ぐ帰り道、駅から一直線に伸びる大学通りを抜けて自宅の方角へ曲がると、オリオン座が目の前に浮かび上がる。そこに差し掛かると、友達の話など半分上の空でオリオン座を見ていた。何なら話を遮って、「ほら、オリオン座だよ」などと言ったこともあるかもしれない。そんなわけで、冬が来てオリオン座を見ると、なんとなく高校受験を、あの頃はそれなりに頑張っていたなあ、という詠嘆とともに思い出す。

そんな風に勉強して入った高校は、国立駅から見て大学通りの終わりのほうにあった。通りの向かい側、国立駅にもっと寄ったあたりには桐朋学園という私立の中高があって、大学通りは朝と夜になると通りの片側が母校の生徒によって、もう片側が桐朋の生徒によって埋め尽くされる。国立駅が近づくにつれてそこに一橋の学生も加わり、住民は若者の群れをやや迷惑そうにしながら紀伊國屋のエコバッグなんかを抱えて歩いている。

国立で高校生が入れそうなお店、たとえばファミレスやカフェのチェーン店、あるいはカラオケ、あるいは書店や文房具屋なんかは、おおむね国立駅から一橋大学周辺に集中している。そのために、僕も含めて国立駅とは反対方向に自宅や通学に使う駅がある生徒たちも、高校の帰りに大学通りを国立駅に向けて歩くことがよくあった。

だから僕の青春の思い出はほとんどが大学通りと結びついている。文化祭の出し物について話すためによく行っていたあまり客の入っていないガスト(サイゼが駅前にできてからは誰も行かなくなり、この前潰れた)。スタバのテラス席にいつもいた、でかい犬と小さい犬(内弁慶と外弁慶という名前がついていて、どちらがどちらだったかは忘れた)を連れた黒人。高校生にはあまりふさわしいとは言えない時間に一橋大学構内で悪友と食べたカップヌードル。女の子と二人で歩くときは同じ高校の人の目を避けるように桐朋側を歩くのが定番だった(しかし書店や文房具店など高校生がよく行くスポットも桐朋側にあって、失敗に終わることも多かった)。

いつも友達としゃべりながら歩いたり自転車を漕いでいた気がする大学通りも、高校三年の冬になると一人で通ることが多くなった。高三の夏にある文化祭が高校生活のクライマックスで、それが終わるとみんな一気に受験モードになって黙々と勉強し始めるのだが、僕はその切り替えに失敗して、放課後にクラスメートが教室で勉強しているなか、同じように失敗した人たちと生徒会室でたむろするのを日課としていた。

しかし、そんな奴らもだんだんと勉強し始めるようになったのか次第に生徒会室から離れていき、街行く人がコートを着始めるころには僕は放課後のかなりの時間を一人で暇を持て余して過ごしていた。ならばさっさと家に帰ってもいいのだが、家に帰って漫然と過ごしていれば親の目も気になるので、高校生にはちょっと入りづらいような喫茶店なんかにあえて足を運んで、ひたすら本を読んだりTwitterをスクロールしたりネットサーフィンをしたりしていた。

大学通りは桜と銀杏の並木道だが、冬になると銀杏の木が電飾で覆われてイルミネーションになる。カップルが身を寄せ合いながら写真を撮ったりしている。一人でそこを練り歩きながら、そのまばゆさに目を細め、吹きすさぶ風に身を切りながらスーパーカーを聴いていた。特に繰り返し聴いていたのが(Am I) confusing you? という冬の曲だ。


(Am I) confusing you ? / SUPERCAR

ホントはまだみんなとなら
ゆっくり歩いていたいけれども
こんな僕が変われるなら
今しかないって気がするんだよ
こんな僕に言えることは
そんなに大事なことじゃないけど
こんな僕が変われるなら
今しかないって気がするんだ

この歌詞に、まわりが勉強しているなかでぼんやりと孤独に過ごしている自分を重ねて、それなりに頑張っていた高校受験のことを思い出しつつ、そろそろ変わらないと、とずっと思っていた。そんなわけで、冬が来て大学通りのイルミネーションを見ると、まともに頑張れなかった大学受験とスーパーカーを思い出す。

結局、年が明けたあたりでようやく毎日勉強できるようになり、自分の能力でなんとか入れそうな大学に滑り込んだ。とはいえ別に人が変わったわけではなく、ずっと試していたらたまたまエンジンがかかったというだけのこと。大学に入ってからも怠惰さには拍車がかかる一方で、最近ではなおさら他人に迷惑をかけてばかりいる。同じタイミングで入学した友人たちはあと数ヶ月で社会人になろうとしているのに、僕は相変わらずだらだらと毎日を過ごして、こんな何の慰みにもならないような文章を書いたりしている。

大学通りは今年もイルミネーションがともって、冬が来た。今の自分が置かれている状況は高三のときに少し似ている。あれからもう四年経つとは信じがたい。四年経っても、根本的なところは全然変わっていないなと思う。そのまま今でもスーパーカーを聴いている。そろそろ変わらないと、と相変わらず思っている。

ここからまた四年を過ごしても、やはりスーパーカーを聴いて、そろそろ変わらないと、と思っている気がする一方で、だんだんと変わらないことによるツケを払う時期になってきて、「こんな僕が変われるなら今しかないって気がする」部分もある。これからどうなるかなんて全然わからないが、スーパーカーは聴き続けるにしても、オリオン座を見ながら頑張っていくしかないのだろう。