The Focal Distance

若さとはこんな淋しい春なのか

あれはなんだったんだろう

日常のなかのちょっとした出来事を、できればいつまでも愛でていたい。

僕は一介の学生に過ぎない。僕が今死んだところで回顧録が緊急増刷されたりはしない。僕の周りの人も大抵はそうである。単なる市井の人に過ぎない。
しかし、そういうごくふつうの人々の、平凡な生活のなかにも、多少のハプニングは起こり得る。それは災害とか大病とかいった類いのものではなく、むしろ後になって「あれはなんだったんだろう」と思い起こされるようなものだ。

個人的な例を挙げてみたい。


金沢を旅行していたとき、暑さに負けて喫茶店に入った。
いい店だな、と思いながらのんびりしていたら、会社の昼休みの時間になったらしく、近くの信用金庫か何かで事務でもしているのであろう、制服姿の中年の女性が入ってきた。馴染みの客のようで店のおばさんと呑気な会話をしていた。

その後、突然そのお客さんが息苦しそうにし始めて、意識はあるものの声に出して返事ができないというような状態に陥っていた。お店には店主と思しきおじさんとおばさん、そして僕しかいなかった。

お客さんの具合はどんどん悪くなっていくようで、店のおじさんが救急車を呼び、お客さんの職場に連絡し、その間におばさんと僕が介抱した。硬直して椅子に座ったまま動けなくなっていたのを横にしたり、汗をたくさんかいていたのでお水を飲ませたりした。

そのときは目の前のことに必死で、と言いたいのだが、もちろん甲斐甲斐しく働きはしたし、懸命だったのだが、一方で頭の隅では「これはどういう状況なのだろう」と思っていた。なぜ、見知らぬ街の、見知らぬ喫茶店で、見知らぬ中年の女性を介抱しているのだろう。

このお客さんが男性だったら、そこまで強く違和感を持たなかったかもしれない。女性が見知らぬ男、つまり自分の前で、前後不覚の状況に陥っているというのが、何だか自分にとっても気恥ずかしいように感じられたのだ。一般論として、中年男性は街中でよく泥酔したりしているし、僕もその姿には馴染みがあるが、女性は基本的にはそういった状態に陥らない。

そのとき、ここまで深く考えていたわけではなく、単によくわからない気恥ずかしさと、状況の不可解さが脳裡にあっただけだが、それが強く印象に残っている。

それから救急車が到着して、それとほとんど同時にお客さんの職場の方が何人かやってきた。上司と思しき男性が救急車に同乗し、同僚であろう制服姿の女性たちが我々にお客さんの容態を尋ねた。「意識はありましたけど」などと店のおばさんと答えながら、そのときも「これはなんなのだろう」と思っていた。同僚の女性たちはお客さんのバッグなどを持って帰った。お客さんがいたテーブルの灰皿では、彼女が吸っていた煙草が灰になっていた。

落ち着いた後、店のおじさんはサービスでケーキを出してくれた。おばさんは東京出身で、僕が東京から旅行に来たというのでいくらか世間話をした。


金沢の一件は、それなりにインパクトのある出来事だったが、もっと矮小な例もいくつもある。

ある冬の夜、高田馬場で酒臭い爺さんに道を尋ねられたので答えると、おすすめのピンサロの話をされた挙句、「女難の相が顔に出ているから気をつけて」と言われた。


食べログで喫茶店を調べていたら、ある喫茶店のレビューで「エロさ:☆ ☆」と書いているユーザーがいた。


横浜を歩いていて、友人がしつこい客引きからガールズバーのビラを受け取った。それから立ち止まって話していたら、ビラを手にした友人が、おそらくシマを荒らす見知らぬ客引きと勘違いされて「お兄さん何の人?」と強面の男性に聞かれていた。


東京の外れにある分倍河原という街で、スナックの前の自販機で飲み物を買ってぼんやりしていたら、そこのママが店から出てきて「普通に生きるのが一番大変だけど、一番お得なんだよ」と説かれた。


阿佐ヶ谷の漫画喫茶で、通路を挟んだ向かいのブースの人が、仕切り扉が少し開いているのに気づかずに堂々とマスターベーションをしていた。


成人の日に、お年寄りの集団が話しながら歩いていて、誰かが「老人の日もあればいいのに」と言うと「それは葬式だ」と別の人が答えていた(敬老の日ではないか、と思う)。


これらの出来事は、「あれはなんだったんだろう」と思わされるし、印象に残っているけれども、決して何かの象徴ではないし、何ら意味のある出来事ではない。ここから教訓を得られるようなことはないし、人生を変えるきっかけになることもない。ただ、そういうことがあった、というだけのことなのだが、僕の記憶には残っているし、僕の人生をかたちづくっている。

解釈のしようがない、それでも印象には残る出来事を、ただひたすら集めて、愛でて生きていきたい。


というようなことが、(ずっと洗練され、かつ面白い形で)『断片的なものの社会学』という本に載っているので、「あれはなんだったんだろう」に惹かれる人は読んでみてください。

断片的なものの社会学

断片的なものの社会学

  • 作者:岸政彦
  • 発売日: 2016/02/26
  • メディア: Kindle版