The Focal Distance

若さとはこんな淋しい春なのか

現状の大学に関する雑感

大学について思うところが皆さんいろいろあるようで、もちろん私もそうなので、思考の整理のためにまとめておく。特に結論や提案を出すものでもない。なお、私は早稲田大学という都会の大規模私立大学の、政治経済学部政治学科という文系の学科に所属する4年生で、観測範囲や感想はそれに応じて偏っている。

  1. 講義のオンライン化
  2. 学生生活の欠如

現状の大学についての論点は、観測した限りでは概ねこの2つだろう。

まず「1. 講義のオンライン化」についてだが、大学教職員の皆さんは、1. を実現するために多大な努力を果たしたと認識している。曲がりなりにも講義を迅速にオンライン化できたのは大学くらいで、小中高ではほぼ実現していないように思われる。1. については、学生の意見としては賛否両論といったところか。

学生の肯定的な意見としては、「通学しなくて良いのが楽」とか「化粧しなくて良いのが楽」とか、「実家から受けられる」などの利便性を挙げるものが多いように思われる。肝心の中身については、「通常の授業に比べて向上した」と言う学生はあまり見ない。

否定的な意見としては、「どうにもつまらなく感じる」といった抽象的なもの、あるいは実施の不備を指摘するものが多い。新入生には、大学の講義自体が本来その人にとってつまらない(と感じる)のに、そのつまらなさはオンライン化ゆえのものだ、と考えた人もいるように思われる。

私個人としては、オンライン化した講義は便利だと感じつつも、やはり大学の教室で受ける方が「気分が良い」というくらいには思っている。自室で、画面の向こうでよく知らない人が喋っているのを聞き続ける、というのはなかなかしんどいものがある。

ただ、講義の質云々については、どうせ前からそんなに真面目に受けていないしなあ、というのが正直なところだ。全く落ちていない、とは言わないが、問題視するほど落ちてもいない、というのが私の狭い観測で思うところである。しかし、学生同士で議論を要求される形式の科目は、やはり難しい、と思う(これは大学だけで起こる問題ではないだろう)。また、教員側から同じような質の講義が展開されていたとしても、それを同じような質で頭の中にインプットできるか、というとそれも対面に比べれば落ちる、という感触がある。

実習や実験、実技が多い学科では、またいろいろと思うところは違うだろう。

続いて、「2. 学生生活の欠如」だが、これが学生にとっての本丸のように思われる。

大学に求められているものは、第一義的には教育と研究なのだろうが、もちろん学生はそれだけを求めているのではないどころか、特に文系の場合は、むしろ就職に使える大卒の称号とキャンパスライフを優先的に求めている人の方がずっと多いだろう、と認識している。

そして、そのキャンパスライフなるものが丸ごと消え失せているのが現状である。サークルもない、それ以外の他の学生との交流もない。もっと有り体に言えば、深夜にうだつの上がらない面々でお金がないけど頑張って暇をつぶすなどと言った古き良き生活は失われてしまった。

仮に、いや、自分はキャンパスライフなどには興味はない、学問をやるというつもりで入ってきた人だって、優秀な教員や学生と時間を共にすること、それによって得られるつながりという無形の資産をある程度享受しているだろうし、それはかなり損なわれているように思われる。

仮にある高校生が九州在住で、文系の学科に進学しようとしていて、もし大学入学後4年間オンライン講義が確定し、不必要にキャンパスに入ることも許されぬ状況ならば、早稲田のような大学に入る必要があるのだろうか。

早稲田につきたい先生がいるというようなことがあれば別かもしれないが、就活において大学の名前が有利不利を生むというだけならば、別に九州大学でも問題ない、という話だし、それを気にしないならば放送大学の方がおそらく講義をうまくやってくれる(経験も設備も違う)。周囲の学生の質など、どうせ関わりを持てないのだからあまり関係がない。実家を出て東京の一人暮らしを経験してみたところで待ち受けているのは単なる孤独である。就活だってオンライン化が進展してどこにいるかは関係なくなってきた(これはコロナが学生にもたらした数少ない良いことだろう)。

大学の教職員の皆さんは、多大な労力を支払ってオンライン化を実現し、それで大学の第一義的な機能を一応は果たせたという点を当然重視しているし、一方で多くの学生はそれよりも自分にとっては大事なものが全然回復されていない、ということを実は問題視しているだろう。

教職員だって、キャンパスライフの重要性を理解していないとは思われない。ご自分だってかつては大学生だったのだろうし。しかし、それについてできることは、大学の側にはほとんど何もない。学生の方は、講義や単位認定だけでなく、大学という場やブランドにも学費を支払っているつもりでいるから、それがないなら学費を減らせという話にもなってくる(それは、部分的には正当だと私は思う。どうして例えば早稲田に入ったのか、と聞いて返ってくる理由の大半が実現しないように思われるので。それなら早稲田のような大学に入る意味がない)。

大学は、とりあえず必要なことを必死で実現しているが、実際に多くの学生が求めているものは実現されていない上に、それを提供する術を大学は持っておらず、学生は不満を募らせる、というのが、この春学期にずっと起きていたことだろう。なんともどうしようもない気分にさせられる。