The Focal Distance

若さとはこんな淋しい春なのか

小池百合子に投票した人は誰だったのか?

はじめに断っておくと、以下の文章は、統計的な分析や政治学的な知見に基づいたものではなく、私の都知事選についてのすごく「個人的な」感想である。構成としては、「立憲支持層の小池支持」の謎を起点に、それに当てはまりそうな人について考え、最後にどうすれば小池さん以外の候補が当選できたのかを検討していく。

さて、昨日の都知事選では、小池百合子氏が8時当確のゼロ打ちという圧勝で制し、2期目を務めることになった。

私のTwitterのタイムラインには困惑が広がっていた。自分も、自分の周りも誰も小池さんを支持していないのに、誰が投票していたのだろう? というように。私も同じような気分だった。同年代の友人など、投票先を話すような親密な関係の人は特に小池さんを誰も支持していないし、またTwitterやInstagramのストーリーで見られるのは宇都宮さんや山本さんを支持する声ばかり。では小池さんに投票したのは、誰だったのだろう?


私は自民・公明の支持層が小池さんに投票したのを解せないとは思っていない。元々小池さんは自民党で国務大臣を務めていたのだし、思想的には財政均衡論者で、核武装の検討を辞さず、日本会議議連の副会長でもあった。今はなんだかクリーンなイメージだが、本来自民党の支持者とは相性の良さそうな人である。そして自民・公明の支持層が世間の3割とか4割を占めているのだから、小池さんが当選すること自体も、別に不可解ではない。

では、私の周りに自民党の支持者が少ないから、私の目に小池さんを支持する人が映らなかった、というだけの話なのか。そうではない。それだけなら想定の範囲だし、少なくとも私はこれほど困惑しない。そして私の周囲にも自民党を支持している人はいて、彼らも含めて小池さんを支持していないのだ。

今回の選挙戦において、私が一番衝撃を受けたのが、立憲民主党(立憲)の支持層の5割、国民民主党(国民)の支持層の6割が小池さんへの投票を考えているという世論調査だった(参考)。当日の出口調査では立憲の支持者は多少宇都宮さんに流れたようだが、それでも3割以上の人が小池さんに投票している(参考)。

国民民主党は、小池さん率いる希望の党と民進党が合流したのちに、再度分裂してできた政党だから、国民の支持層に小池さんを支持する人が多いのは理解できなくもない。しかし、立憲はと言えば、その希望の党と民進党の合流時に、小池さんがかの有名な「排除します」発言を行って、民進党内のリベラル寄りの勢力が希望の党に合流できないということがわかって、枝野さんが立ち上げた政党である。

「排除します」と言ってしまうくらいなのだから、小池さんの考え方は、立憲の考え方とは異なる部分も大きいはずなのに、立憲を支持していると自認する人が、なぜ小池さんを支持するのだろう? というのが全く理解できなかった。そこが私の一番困惑したポイントである。立憲の議員にとって、小池さんは敵とまでは言わないまでも、それに近い人だろう。ではなぜ、彼らは小池さんを支持しているのか? 彼らはどんな人で、どんな考えを持っているのか?

そんなことを考えているうちに、おそらく政党の支持を聞かれたら「立憲民主党」と答え、かつ今回の選挙で小池さんに票を投じていてもおかしくない人が身近にいることに気づいた(あいにくまだ誰に入れたのか聞いていないが)。私の祖母である。


前回の都知事選は、2016年の7月31日だった。その前月に18歳選挙権が施行され、私は4月に18歳になっていたから、人生で初めて投票する選挙だった。当時、祖母と誰に投票するか話をした記憶がある。

ここで、祖母についてかいつまんで紹介する。

祖母は同世代のなかでも特に、機械に詳しくない。扱えないというより、あまり興味がないらしい。数年前まで携帯電話も持っていなかった。当然、インターネットもしない。その代わりよく出かける。映画や講演会などに頻繁に足を運んでいる。ワイドショーも夜のニュースも好んで見ていた。祖母は新聞はとらなかったので、主な情報源はテレビと口コミだったし、今でもそうだろう。無論、政治についても同様である。

政治については比較的熱心な方である。投票には当然必ず行くし、地域の市議会議員の講演会にも足を運ぶようなタイプだ。そして、一貫して「金に汚い爺の多い」自民党を支持していないが、小泉元総理については「かっこいい」し、「はっきりと物を言う」とか、「今までとは違う」と褒めていた記憶がある。ちなみに息子(進次郎)も好きなようである。田中真紀子氏も気に入っていた記憶がある。曰く、「はっきりと物を言う女性」だから。

小泉さんのような例外はあるにせよ、基本的には、リベラルよりの考え方の持ち主である。憲法9条は大事なものと思っているし、自分の経験もあってか女性の社会進出には強くこだわりがあるようである。共産党にも忌避感を示さないし、地方選挙では投票することもある。

そんな彼女の政治的スタンスから言って、鳥越さんに票を投じるのではないかと思っていたが、小池さんに入れるかもしれないと言われて驚いた記憶がある。確か、「鳥越さんはもう年だし、小池さんははっきりとものが言える人だから。それに女の人だからね。自民党を敵に回してすごい。男はいざとなったら頼りない。宇都宮さんが出たら入れても良かったけれど」というようなことを言っていた。

前回の都知事選では、宇都宮さんが出馬を検討していたが、野党統一候補に当時76歳の鳥越さんを担いだ関係で、彼は出馬を取りやめた。小池さんは、当初自民党の東京都連に推薦を依頼していたが、無所属での出馬を決意。自民党東京都連は、塩村文夏氏に対する野次問題に始まり、都知事選直前に話題となった都議会のドン・内田茂氏の件などで反感を買っていたので、そこを向こうに回して自民党を悪役として糾弾し、鳥越さんや自民党の増田さんを負かした。

翻って今回の都知事選では、30代を底にして、年齢が上がるにつれて小池支持が高まり、また女性は男性より10ポイント以上の差をつけて小池さんを支持しているとNHKの出口調査が報じている。もっとも小池さんの支持が多い「70代以上の女性」にまさに祖母が当てはまる。

4年前の時点で祖母は小池さんに票を投じようとしていた。祖母というたった1人の例をもとに全体を語れるわけはないが、そのとき言っていた理由が、おそらく今も人々が小池さんを支持する理由ではないかと思ってしまう。「弁舌が立ち、旧弊を破壊し、何かやってくれそう」なリーダー。かつての自民党において特に顕著な、「金に汚く、密室で物事を決め、男ばかり」の政治を打ち破ってくれる女性として、小池さんがいる。

祖母は、かつては郵政民営化を強力に推し進め、「私に反対するものはすべて抵抗勢力」と言い切った小泉さんに好感を抱いていたし、その後、「国民の生活が第一」として、「コンクリートから人へ」をキャッチコピーに政権交代を成し遂げた民主党にもずっと好感を抱いていた。私は生まれていないが、おそらく細川内閣が成立したときには細川さんに期待していたことだろう。

祖母自身は、今回も小池さんに入れたのかはわからない。宮部みゆきの『火車』が好きで、そのモデルである宇都宮さんには相当良いイメージを持っているようだから、彼が出馬した今回は彼に投票したかもしれない。

けれども、55年体制の崩壊以後、細川政権を実現させ、小泉路線を支持し、民主党を与党に押し上げ、小池さんに都知事の座を渡したのは、きっと祖母のような人じゃないかと思う。多分橋下さんを府知事にしたのも同じ力だ。小泉さんは自民党だけれど、「自民党をぶっ壊す」と言っていた。国民の多数は、根っから自民党を支持しているわけではない。無党派層の方がもとより多いのだし、自民党以外の選択肢があれば、票を投じる。

そして、そのときに大事なのは、「何をやったか」ではなくて「何をやってくれそうか」なのだ。本人が政治的にどういう思想の持ち主か、あるいはかつてどういう思想の持ち主だったのか、それが自分と一致しているかも、あまり関係ない。でなければ小泉さんも鳩山さんも7割に支持されるなどということが起こるはずがない。

今、野党が勝てない理由として、「民主党政権の失敗」を挙げる人がいるが、そこまで関係ないのではないかと思う。そんな昔のことは、多くは忘れてしまっているだろう。かつて民主党への政権交代が実現するくらい自民党は反感を買っていたのに、みんなそんなこと忘れてしまっているのだし。ただ、枝野さんも玉木さんも、「何かを変えてくれそう」という感じに欠けるだけではないだろうか。


小池さん、あるいはかつての細川さんや小泉さんや橋下さんが支持を集めた構図を分析してみよう。

まず、必須なのは二項対立に持ち込むことだ。善と悪、権力と民衆、旧守と革新のような軸で押し出す。今回の選挙では、小池さん(権力)に対する候補が分散してしまったが、これは単に反現職票が分散してしまうという以上に、現職を有利にする。そういう意味で、スーパークレイジー君は「百合子か、俺か」というコピーを使っていたが、あれは非常に良かった。

続いて、マスメディア、特にテレビを味方につける。なんだかんだ言って、テレビの力はいまだにすごい。Twitterで冷笑じみたツイートをしていたり、Instagramのストーリーでなんか意識の高いことを言っていても仕方ない。個人間のコミュニケーションでは、政治の話は避けるのが常識的な態度だという捉え方は、まだかなり根強いから、どんな内容であっても、個人が呼びかけるという形で発信するものは、多少敬遠される。

その点テレビは「政治の話」を堂々とすることが許されている。そして、「もっともらしさ」や「インパクト」、「分かりやすさ」が圧倒的だ。見目麗しいキャスターや、いかにも賢そうなコメンテーター、気持ちに寄り添ったことを言ってくれる芸人などが、実際の映像やフリップ、時には3DCGや模型も交えて説明してくれるのだ。すべての人をターゲットにしているだけあって、すごく丁寧につくられている。

候補者本人の資質としては、知名度があり、弁舌が立つことが望ましい。見た目は整っているか、あるいは愛嬌がある方が良い。年齢は、最低で40代、上は65歳以下が良いだろう。実年齢が多少上回っていても、見た目がその範囲なら問題ない。元気そうなら年寄りでも構わないが、若すぎるのはまずい。

キャッチコピーは、文字通り「キャッチー」であるべきで、内容だけでなく言い回しも具体的ではいけない。「自民党をぶっ壊す」というのはその意味で優れたコピーだった。自民党の何を、どうぶっ壊すのか全く触れられていないので。


以上の点を踏まえて、今回の選挙は具体的にどうすれば良かったのか。

まず、反小池の統一候補として、出馬したなかならば山本さん、それが無理ならば誰でもいいので候補者本人の資質に当てはまりそうな人を選出する。野党は推薦してもいいが、候補者本人は無所属の方がいいだろう。宇都宮さんはいかにも堅物そうだから、広範に支持を得るのは難しい。

そして、音喜多さんがぴったりだと思うが、小池さんに協力したもののそれを撤回した人に、積極的に応援してもらう。一度は小池さんに騙されて票を投じてしまった民衆が、今反旗を翻す、という構図をつくる。音喜多さんはその象徴のようなものである。小池都政という悪しき権力を非難するのだ。必要なのは、物語だ。小池さんがジャンヌ・ダルクに自身をなぞらえたのを真似すれば良い。

この構図を有効にするためにも、テレビを味方につける必要がある。『女帝 小池百合子』はいい本だし、実際売れたのだが、とはいえせいぜい20万部である。20万部はあくまで発行部数であって、購入部数ではないが、仮にそれがすべて売れて全員が読んだとしても、20万人にしか届いていない。テレビならば、視聴率5%でも見ている人は数百万単位だ。桁が違う。

テレビを味方につけるためには、オリンピックの開催是非を政策の中心に置くのは悪手だろう。テレビ局にとっては、オリンピックは開催してもらった方がいいに決まっている。こんな状況では開催の是非を検討しなければいけないのは間違いないが、それは当選してから主張すれば良いのだ。小池さんに対抗する意味でも、少なくとも来夏の開催は否定的でも良いが(都民の多くもオリンピックが来年できるとは思っていないと示されている)、強く主張すべきでない。

テレビを味方につけることができる物語を描き、あとはとにかくイメージで勝つべきだ。

例えば、小池さんが公約(例えば「7つのゼロ」)を達成していないことは、小池さんを批判する材料になるが、決定打にはなり得ないかもしれない。自民党がTPPに反対していたことだって忘れ去られてしまったのだから、問題にならない。ただ批判するのではなく、「小池さんは口先だけのペテン師だ」というイメージを広く持ってもらう必要がある。学歴詐称疑惑もこのイメージを強化するのには良いが、こちらはさらに弱い。誰も、郵政省の何が本当に悪かったのかなど、よく知らない。ただ、悪いんだ、変えなきゃいけないんだ、と思ってもらえれば成功だ。

現在の小池都政は(コロナ対策も含めて)基本的に評価されているので、そのイメージを壊さなければならない。評価している人たちの多くは、なぜ評価しているのかを具体的に説明することはできないだろうから、その漫然とした肯定を漫然とした否定に傾ける必要がある。誰だって、特段の関心のない事柄は、漫然と判断してしまう。「日本製はなんとなく信頼できる」というのと同じような話だ。そう思っている人は多くても、なぜ信頼できるのか論理的に説明できる人は少ないだろう。理由をつけられたとしても、それは大抵の場合、気持ちが先にあり、後から合理的と思われる理由をつけている。

もちろん、自分が何を成し遂げるのか、つまり政策についてもイメージを持ってもらう必要がある。小池さんというアンシャン・レジーム(これも小池さん自身が使った言葉だ)を壊す、というだけでも十分な達成だが、さらに自分がなすことに明確なキャッチコピーをつけるべきだろう。維新の会で言うと「大阪都構想」だし、民主党なら「コンクリートから人へ」である。そのコピーは、すごく気をつける必要がある。

今回、山本さんがいまひとつ支持が伸びなかったのは、根強い「借金=悪」という考え方によるのかもしれない。国の借金を個人の借金のようなイメージで捉えてきた歴史は長い。国債が実際なんなのかはよく知らなくても、「1人あたりの国の借金」が多額だということは知っている。もし都債発行をどうしても主張するならば、このイメージも覆さなければならない。また、「愛とカネ」というフレーズも、直截すぎて特に高齢者にはウケが悪そうだ。全く同じ内容でも、「グレート・スペンディング」とか「税の民主化」とかにすればもう少し支持が伸びたのじゃないかと思う。

政策のキャッチコピーは、こういう一般的なイメージに気をつけつつ、それに反することを言う場合は、イメージもろとも覆すか、それっぽい言葉でオブラートに包む必要がある。おそらく、既存の知れ渡った論点に触れるよりは、あまり多くの人が問題とは思っていなかったことを問題視して(例えば「府と市の二重行政」)、そこを変えると言う方がやりやすいだろう。

今言ったことをすべてやっても、小池さんに勝てなかった、という可能性は大いにある。現在の世情から言って刷新や変革よりも安定的な政治を望む傾向が強いこと、そして、小池さん自身がイメージ戦略においては右に出るものがない天才であること。

小池さんを相手にこの手法が使えるとしたら、次の都知事選だろう。そのときには感染症も落ち着き、小池さんも歳を重ねているし、3選を避けたいという漠然とした市民の思いもあって、やりやすくなるだろう。


ただ、一番の問題は、このようにして小池さんを負かすことができたとしても、小池さんを当選させるのと何も変わらないことだ。しかし、私には自民党以外の勢力がこれ以外の手法で権力の座につくことが想像できない。何もしなければ自民党、政治を変えるという機運を生み出せたらそれ以外、というのがこの国でずっと行われていることじゃないだろうか。

今回の選挙結果について、色々と不満がある人もいるだろう。政治に関心がある人にとっては特にそうだろう。私の周囲にはそういう人が多いので、前述のように立憲や共産の支持者だけでなく、自民党の支持者ですら小池さんを支持している人を見ない。それもそうだろう。「東京アラートって何がしたかったの?」と思わない方がおかしい。

しかしそれは、我々が政治に比較的関心を持っていて、かつマスメディア以外の情報源を持っているからそう感じるだけなのだろう、とも思う。小池さんを支持している人が愚かなのではない。そう思っている人だって、関心のない分野ではイメージで判断するに違いない。いや、多少は関心のある分野においてすら、きっとそうだ。私だって、私の政治的な考え方のすべてを合理的に説明することなどできない。例えば監視社会に反対しているけれども、無論いくらかそれらしい理由はつけられるにせよ、究極的には「それは嫌だから」としか言えない。

かと言って、もっと政治に関心を持て、というのも、おそらく正しいし、正しいが故に間違っている。人間はいつもそんなに正しくあれるわけではないし、その正しさというのも、民主主義の日本においては論理的に正しい、という程度だろう。それに、短い人生を政治について色々と考えたりツイートして費やすより、そんなこと全然考えないけどもお酒を飲んだりドラマを見て笑ったりする方が良い、というのもひとつの価値観だと私は思わざるを得ない。政治に関心を持って参加せねば、というのは崇高な理念だけれど、そうでないことが間違っている、とは、私は思えない。少なくとも、私が政治に関心を持っているのは、それが正しいからではなく、それについて考えるのが面白いと思うからで、それは酒飲んで楽しいと思うのと全然変わりない。

しかも、政治に関心をある程度持ったところで、限界はあるのだ。毎度投票に行っている私の祖母も小池さんに投票しているかもしれないのだから。人間はイメージの呪縛からは逃れられない。投票にきちんと行く程度には政治に関心のある人が、実際に投票所まで足を運んで、小池さんの名前を書いて、投票したから小池さんが当選したんだということを、忘れてはならない。政治への関心は、もはや問題ではないと思う。ならばテレビが問題か? もちろん、問題はあるだろうが、たとえテレビが滅びて、市民のほとんどの情報源がインターネットになったとしても、やり方が変わるだけで、イメージが重要なことには全く変わりないだろう。

そして、私も私の祖母も、政治に関心のあるあなたも、そんなことより酒飲もうぜと思うあなたも、誰もが政治に参加できるというのが民主主義の精神だし、今回の選挙結果が不満ならば、究極的には、民主主義を否定するしかない。きっと、私やこれを読んでいるあなたのような人だけが政治に参加できる社会ならば、少なくとも小池さんは当選しませんよ。

しかし、私だって「もっと政治に関心があり、もっと賢く、もっといろいろな情報を得てもっと自分の頭で考えている」人からすれば、イメージで判断しているだけだろうし、それだからと私が投票できないのは嫌なので(そしてこのことが民主主義を肯定する理由の最大のものだろう)、民主主義を否定したくない。

では、小池さんのように高みを目指すことそのものが目的なのではなく(これだって、『女帝 小池百合子』を読んで生まれたイメージだ)、実直で成し遂げたい政策がある政治家に政治を担ってもらうにはどうしたらいいのか。

私は、イメージで物事を判断することが人間の本質だときちんと認識して、その形成に寄与するメディアも含めて、それをある程度利用するしかない、と思う。その程度のしたたかさを身につけなければ、当選できないし、当選したあとでも何かを成し遂げられない。人間のために政治があり、人間が政治家を選ぶのだから、人間の本質と向き合わなければ、政治家たり得ない。そういう意味で、小池さんはもっとも政治家に向いている人間かもしれない。彼女は、人間のことがわかっている。