The Focal Distance

若さとはこんな淋しい春なのか

考え方と行動の指針(2021年9月)

最近、自分がどう物事を考えて何を選び、行動するか、ということがようやく言葉にできるようになってきたので、記録しておく。これはまだぼんやりとした発想の段階で、論理の飛躍や不適切な例示などがいくらでもあるかもしれない、いわば下書きである。

また、当然不変のものではなく、1年後には全然違う考え方をしているのかもしれないし、とにかく現時点での指針に過ぎない。


社会が極端な方向に振れることがある。そういったときには個人の選択肢が狭められ、その結果同質な集団が生まれ、競争が阻害される、と考えている。社会が極端な方向に振れる一例が戦争であり、社会(ここでは国)を挙げて戦争の勝利に邁進しようというときには、個人が何をするかという選択の幅が狭くなるというのは想像できる。

AとĀがあってこそ競争が生まれ、その結果AもĀも質が向上していく、という前提があり、そのためにはある個人はAをするかĀをするか選べなければいけない。戦争が進歩を生み出さないかと言われれば、必ずしもそうではなく、たとえば技術は進歩したかもしれない。でも文化はどうだろうか。技術(特にある特定の分野)の担い手は戦争の遂行に必要であるとしてそれをすることを選べたが、文化の担い手は(よほど地位を確立していなければ)、たとえば絵を描き続けることができただろうか。技術者であっても、美術家であっても、研究所やアトリエに焼夷弾が降り注ぎ、物流網もずたずたであるというような事態になってしまっては、どの道効率的に開発や創作を進めることはできない。

戦争の遂行という点で言えば、技術と文化はある程度違う方向を根ざしたものかもしれないし、平常時でもそう思われているかもしれないが、ある文化、たとえば人が人と話すという文化をもとに通信の技術が生まれたように、逆にある技術、たとえば新幹線が開通したことで東京の楽団が気軽に大阪で演奏できるようになったように、互いに関連して、その成長や拡大に貢献している。

そういう意味で、社会全体が極端な方向性に触れることなく、安定した中庸さが保たれていた方が、技術をやりたい人は技術をでき、文化をやりたい人は文化をできるわけで、それが技術と文化の成長に互いに寄与し、そしてそれに従事している際も人は選択の自由を享受できる。私はそのような社会、個人の選択肢が可能な限り担保される社会の方が望ましいと思っている。それは個人の幸福という観点からもそう言うのだし、結果的には社会全体の品質を向上することになると思う。


技術と文化、というのは非常に大づかみだが、先ほどの戦争の例をまた借りれば、技術のなかでも重宝されるもの(プロペラの形状を変更させて効率的に揚力を得る技術)と、重宝されにくいもの(より緻密で豪奢な和紙を製造する技術)があると思う。一見重宝されにくい技術であっても、実は応用の幅があって、緻密で豪奢な和紙が爆弾を梱包するのに適しているというようなこともあるのかもしれないが、社会の安定と中庸さが損なわれている状況では、そのような活用法に考えが及ばず、近視眼的に航空工学だの通信技術だのに積極的な資源と人材の配分が行われるのではないだろうか。

もし社会の安定と中庸さがかなりの期間維持されているならば、航空工学も和紙の製造も(需要に応じた)研究開発がなされ、その結果としていざ、社会が極端な方向に多少振れざるを得ず、それに対処する必要がある事態——たとえば新興感染症の流行など——が起きたときにも、それらの果実をうまく利用して対処がしやすくなるように思われる。

たとえばコロナ禍では、IPAという国の組織が開発費65万円で「シン・テレワークシステム」というシステムを即座に開発し、提供できた。今では民間企業や自治体など数十万以上のユーザーがそれで自宅にいながら職場のコンピュータを利用できている。これは、登大遊氏などの技術者が、安定した中庸な社会1で自らの興味関心に応じてさまざまな技術を磨いていたから可能だった芸当だろうと思う。もし彼が軍隊にいて、そこでは個人の選択肢が大幅に狭められていて、あるコンピュータの軌道計算のバグを修正するというような業務に終始せざるを得なかったとしたら、いざ戦争が起こってもそれ以上のことはほとんど何もできなかったのではないだろうか。


だから、社会である観念が主流になりつつあるとき、とくにそれが急進的な変化で、一定程度の人数の選択肢を狭めるものであるならば、私は基本的にはそれに対立する考え、またはそもそも二項対立ではない別の選択肢を考えて、実行することを目指す。

規範のようなものは、どの道漸進的に変化するものではある。ただその変化が現在の価値観から見て極端で、かつ急進的な変化の場合、それによって自分の選択肢を狭められると感じられる人がある程度発生するのではないかと思う。個人の道徳のようなものは必ずしも急進的な変化に対応できるとは限らないし、個人の積み重ねてきたキャリアはなおさらそうである。

極端な変化には極端な揺り戻しも伴いがちであり、それは「鬼畜米英」から「ギブ・ミー・チョコレート」の変化に喩えられる。あるいは「原子力 明るい未来のエネルギー」から「原発即時停止」でもいいかもしれない。そういった極端な変化において犠牲になる個人というのは必ずいて、鬼畜米英の時代に満州で富を築いた実業家はその多くを後に放棄したかもしれないし、原子力工学の研究者として独り立ちすることを目指していた大学院生は働き口が急減したのかもしれない。

じゃあ、戦争を続けていればよかったのか、あるいは原子力発電所を止めなければよかったのか、という話ではない。そもそも、「鬼畜米英」のような極端なイデオロギーで社会を構成するべきではなかったし、「明るい未来のエネルギー」といった夢のようなフレーズで原発に安全神話を持たせるべきではなかったのだ。


急進的であっても、多くの人の選択肢をあまり狭め得ない種類の変化というのはあると思う。たとえば普通選挙の導入は、日本では戦争に負けたために突如行われたものだが、普通選挙によって男性は投票をするかしないか、するなら誰に投票するかという選択肢を特に狭められていない。むしろ所得制限がなくなったのでより多くの男性が選択肢を得られるようになった。女性は言わずもがなである。私はこのような変化に対しては、「普通選挙の導入に反対」などと運動を起こしたりはしない。2


今までの論を整理する。

安定した中庸さを持つ社会では、個人が何をするかを比較的自由に選択でき、集団として多様性が保たれ、その結果分野内または分野間の競争が促進され、社会全体の品質が漸進的に向上していく、と認識している。

逆に急進的な変化は、それが個人の選択肢を狭める場合は均質な集団を生み出しやすく、その結果競争が阻害され、社会全体の品質は(ごく一部の配分に恵まれた分野を除いて)向上していかないか、低下することにつながると考えている。

そのため、社会において急進的な変化が、個人の選択肢を狭めるような形で起こり得るときは、それに対立する形、あるいは土俵の外にあるまったく別の形(両方とも「オルタナティブ」と言える)を考えて、実行することを目指す。

これが、現段階での私の考え方と、そして何をして何をしないかの指針である。指針はあくまで指針であり、私のそれとは別の趣味や嗜好のようなものもあるので、実際の考えや行動にはそれも影響してくるが、今まで考えたり行ったりしたことを思い起こしてもおおむねこのような考えや指針に沿ってきていたと思われるし、それがようやく自分で言葉として理解できる形となった。

これは自分のためのメモで、公開する必要もないのだが、冒頭に述べたとおりまだ荒削りなものなので、参考になる資料や反例、違和感のようなものがあればご教示いただければ幸いのため、インターネットに載せることとした。


  1. ここで直接的に貢献するのは、世の中というよりは大学や法人などのもっと狭い世界が主だが、そのような大学や法人が維持できているのも安定して中庸な社会があるためである。

  2. 今のところそのような考えは持っていないが、間接民主制が個人の選択肢を狭めているというような認識を得たときには、選挙そのものに対するオルタナティブな考えを実行する可能性はある。