The Focal Distance

若さとはこんな淋しい春なのか

戦争に行ってあげるわ熱い雨やさしくさける君のかわりに

基本的に、女性一般を尊敬している。


その理由は複合的で、うまく説明できないが、たとえばある部分においての感覚の鋭さ、精神の強靱さなど、男には――少なくとも自分には、到底持ちようもないものを持っていると思うからだ。以前、「いい男って全然いないのにいい女ってたくさんいると思いませんか」みたいなことをツイートしたことすらある。この言い回し自体が古臭い感じがしますけどね。


でもこれって、ミソジニーと何が違うんだろうな、ともよく思う。単純な性別に線を引いて、片や「女性」をなみして、片や敬している「だけ」の違いではないか? 性別を見て、個人を見ていないとは思いたくないし、尊敬している男性もいくらでもいるし、尊敬できない女性もいくらでもいるけれど。


というようなことを友人と話したところ、基本的に女性が冷遇される社会構造の世の中なので、ミソジニーと同じ構造であったとしてもその尺度が逆というだけで「マシ」ではないか、というようなことを言われた。


そうかもしれませんけどねえ。でも自分の価値観がどの道古臭いことは否めないと思うんですね。それでも、女性一般を尊敬しているのでそれが問題視されることは(少なくともその逆よりは)今の世の中では多分少ない。精神的には同じ構造なのに、と思ってしまう。


特に答えとかないし、考え方の筋道も間違っているかもしれないけど、単に思い出したので書いておく。普段こういうところに文章を書くとき「皆さんどう思いますか」とか思いながら書いてなくて、ひたすら「俺はこう思う」だけを書いているんだけど、今回ばかりは皆さんどう思いますか、という感じである。


タイトルの短歌は、江戸雪による。この歌が好きなんだけど、こういうところなんだよな、という感じもする。