The Focal Distance

若さとはこんな淋しい春なのか

横浜を巡る(洗練と猥雑の港町について)

新しい感染症が猛威を振るっているなか、いまだ東京では毎日コンスタントに数十人の感染者が発生しつづけているが、なぜだか都道府県を跨ぐ移動が許可されたその日から2日にわたって、横浜を巡った。初日は連れ合いがいたので、私が1人で気の赴くまま散策をした2日目に巡ったあちらこちらについて書く。

非常に長いので、ざっと巡った場所を説明すると、かつての赤線地帯・今は下町の商店街である阪東橋界隈、続いてかつての「ちょんの間」街・今はアートで街を変えようとしている黄金町界隈、ついで横浜駅西口をうろつき、最後に横浜駅東口の高島という再開発地域へ至るコースである。

阪東橋界隈

阪東橋という地名は、おそらく横浜に住んだことのない人間にはあまり知られていないであろう。ばんどうばし、と読む。横浜市営地下鉄の駅名にもなっていて、隣は伊勢佐木長者町である。こちらは、繁華街であるイセザキモールの最寄りで、横浜スタジアムや旧横浜市庁のある関内駅にも歩いて数分だから、ある程度名が知られている。

その他所から訪れる人の多い地域を海とは反対の方向に抜ければ、阪東橋である。駅のあるあたりは、町丁としては駅の所在する弥生町と、曙町、高根町、真金町といった名前となる。駅名は、地下鉄ができるまで流れていた川に架かっていた橋の名前に由来するらしい。

私はこの辺りの風情がどうにも好きだ。
先述した曙町は風俗店の多い、今流行の下劣な言い回しで云えば「夜の街」である。そして真金町は、かつては赤線地帯だったし、現在では横浜橋商店街という非常に下町らしい商店街になっている。

横浜橋商店街の写真
横浜橋商店街。アーケードに150軒程度の商店が連なっている。

日本における大規模な港町の魅力は、洗練と猥雑の見事な混淆にあると思う。
舶来品という言葉もあるように、何か新しいもの、変わったもの、魅力的なものはいつも港からもたらされる。神戸開港150年のキャッチコピーも「新しい風は、いつも、みなとから。」と言っていたし、横浜も神戸も、「○○発祥の碑」で溢れている。異国から輸入された文物が最初に到着するのは港町だからだ。

かつて、舶来というのは洗練の象徴だった。それを真っ先に目の当たりにする港町の人々は、自然に洗練される。何も物質だけがやってくるのではない。港町には、異邦人も多く住む。いくら居留地が定められていたって、他の街に住む人間よりも彼らとの交流は多かったに違いない。その結果として、今でも横浜や神戸はお洒落な街の代表格のような場所である。

一方で、港湾というのは基本的に労働集約型産業で、危険が伴う力仕事が多いから、男女雇用機会均等が謳われて35年になる今でも男の世界である。昭和の時代には、その日暮らしの無頼漢が沖仲仕でもやっていたわけである。あの山口組のルーツは神戸の沖仲仕の集まりだし、日本の三大ドヤ街の一つ・寿町も横浜にある。そんなわけで、疲れた男たちを癒す風俗店や飲み屋が立ち並ぶ繁華街も形成されるわけである。

かくして、片や外交や貿易に従事するエリートと、片や酒と博打に溺れる肉体労働者が、あるいは片やハイブランドばかりが集まる高級商業地と、片や風俗店が立ち並ぶ赤線地帯が、せいぜい4, 5kmの範囲に共存することになる。都市というのはどこでも、多様な人種の集まる坩堝だが、港町のように劇的ではない。

例えば銀座と新橋は全然性質の違う街がほとんど隣り合わせになっている。しかし新橋だって、実は一流企業のエリートサラリーマンが多いのであって、赤提灯で酔っぱらう彼らとて、休みの日には家族サービスで銀座に行くに違いないのだ。東京では、下町と山の手は離れており、緩衝地帯が存在する。その点、港町はすごい。横浜ならば、瀟洒な洋館の立ち並ぶ山手から曙町まで3km程度である。ちなみに神戸の北野異人館街からソープ街の福原までも3km強、というスケール感である。

人間が容易に歩けるスケールで実感できるこのコントラストには、非常にくらくらしてしまう。それを指して、私は「洗練と猥雑の見事な混淆」と呼び、それを魅力的と捉えている。

港町について一席ぶってしまったが、みなとみらいや元町を巡るだけでは、横浜という街の一面しか見ていないことになってしまうと思う。中華街だってだいぶ観光地になってしまっている。そういうわけで私は、港町に行けば手の入っていない下町も必ず巡る。その一例として、阪東橋界隈である。

横浜橋商店街の甘味喫茶「えどや」にて。

さて阪東橋までシェアサイクルを走らせた私は、横浜橋商店街で涼を取ることにした。飲食店はいくらでもあるが、できれば煙草が吸いたいし、またそんなにしっかりと食事を取れるほど空腹でもなかった。昼間に「何か軽いもの」となれば、喫茶店であるが、商店街には見当たらない。しかしあんみつやソフトクリームを売っているらしき売店の横に扉があり、遠目に覗くと中は喫茶店のようになっている。しかも喫煙可とのこと。素晴らしい。

そういうわけで、甘味処と喫茶店の融合した「甘味喫茶」である「えどや」に入り、ギリギリモーニングの時間だったためそれを頼む。せっかく今時東京ではあまり見ない煙草の吸える甘味処だし、あんみつでも頼んでやりたかったのだが、朝ご飯にあんみつというのも受け付けず、トーストを食べることにした。

店主である男性と奥さんのお二人でやっていらっしゃる様子だったが、どちらも少し無愛想。しかしそれがすごくちょうどいい接客だった。「いらっしゃいませ」や「ありがとうございます」ははっきり言ってくれるので、不快ということもない。喫茶店は、ひとりなら孤独を楽しみに行っているし、連れ合いがいるなら喋るために行っているわけなので、基本的には放っておかれるのが一番ありがたい。ウェットな接客はたまになら良いし、特に旅先などで触れると面白いものだけど。

モーニング。私は抜いたが、本来はサラダもつく。どこかにアップロードするつもりではなかったのでストローのゴミが写っているが気にしないで欲しい。

店を出て、改めて横浜橋商店街を散策。活気のある商店街である。威勢の良い売り文句が響く。チェーン店は少なく、小規模な個人経営の商店が多数。朝鮮や中国の食材を扱った店も多い。なぜか桂歌丸師匠の載った看板があったが、師匠は商店街がある真金町がかつて遊郭だった頃の、遊女屋の子であった。後で調べてみると、生前は商店街の名誉顧問も務めていたらしい。

黄金町界隈

阪東橋駅まで戻り、さらに大岡川を渡ると京急の黄金町駅がある。

黄金町駅は、黄金町ではなく白金町にあり、駅から同じく京急の日ノ出町駅の方に抜けたあたりの川沿いの一角が地名としての黄金町になる。この周辺は2005年くらいまで、いわゆる「ちょんの間」が立ち並ぶ地域だった。ちょんの間というのは置屋と同義であり、飛田新地が有名だろうか。布団を敷けばいっぱいになるような狭い空間で、短時間で娼婦と情事を行うというスタイルの風俗店である。ソープランドが風適法に基づく風俗店である一方、ちょんの間は形式上は小料理屋など飲食店や旅館ということになっている。

日本では管理売春は違法だから、どちらも情事を行うのは店が行わせているのではなくて、「従業員と客の間で自由恋愛が発生した」という理屈で、その従業員が風適法に基づく特殊風呂の従業員か、飲食店の店員か、という違いである。

そんなかなり脱法的な街で、ソープ街に比してもダーティだった黄金町は、地域住民の浄化運動と警察の一斉摘発によって、芸術の街になりつつある。

かつてのちょんの間が、ギャラリーとして生まれ変わっている。

2002年、京急線の高架下にあったちょんの間100軒が工事により周辺に移転。翌年にスタートした地域住民の浄化運動は、公の機関を巻き込み始めた。2009年の横浜開港150周年に備えて行われた2005年の警察の一斉摘発によって、ちょんの間は姿を消した。同じ頃、住民たちは京急や行政との協力のもと、アートによるまちづくりを目指した。異常な狭小建築は、例えば通常の飲食店には適さない。黄金町だけでなく、市全体が「創造都市」を掲げているので、アートの利用というのはそういう意味でもちょうど良かったのだろう。

時を経て、狭い間口の建物であるかつてのちょんの間が、今ではギャラリーや小規模なバーとして生まれ変わりつつある。京急線の高架下には、「黄金町エリアマネジメントセンター」というNPOと横浜市によって洒脱な建物がつくられ、NPO自体が運営するものも含めて、アトリエやスタジオやレンタルスペースやカフェなどが入居している。

当初ちょんの間が立ち並んでいた京急線の高架下。お洒落なカフェが写っている。
ちょんの間の壁面に描かれたアート。他にもこのような絵がある。

しかし、街を散歩していて、お洒落なカフェや壁面のアートなどを見るにつけ、私はどうにも寂しい気分になった。

明るく先進的でクリエイティブな街の方が、普通、良いに決まっている。だけれどももはや、日本ではそのような街よりもむしろ、戦後の混乱期の名残であるちょんの間の方が数が少ないのだ。この国から、猥雑さが失われようとしている。人間は、明るく先進的でクリエイティブなだけではない。貧しく退廃的で犯罪に手を染めざるを得ない、それも人間だろう。それをある程度受け入れる裾野こそが、都市の多様性だろう。特に横浜のような港町においては、洗練と猥雑はどちらも欠かせない両輪である。

これは、完全なる部外者の勝手な文句だということは理解している。私は黄金町、あるいは他の治安の悪い地域に住んでいないのだから。治安の悪さ、イメージの悪さに長年悩まされてきた住民たちは、多大なる努力をして街を変えてきたし、今もその途中である。その努力を尊敬するし、それを否定するものでもない。また、黄金町の試みは貴重とも思う。

しかし一方で、特に行政に対して文句を言いたい気持ちがある。黄金町は高級な街にはなっていないにしろ、これは一種のジェントリフィケーションである。街がなくなっても、人はいなくならない。飛田新地などと違って、黄金町のちょんの間は外国人の娼婦が多かったという。彼女たちはどこへ行ったのだろうか。元々異国で売春をせざるを得ないような弱い立場の人々である。また、そこにやってくる客や娼婦を相手に商売をしていた人々もいるはずである。彼らもどこへ行ってしまったのだろうか。

弱く、持たざる者、それゆえに違法な産業に従事せざるを得なかったり、犯罪に手を染めてしまう者の生きる術を奪い、ハコモノをつくり、アートでまちおこし、というのが、行政の仕事だろうか。開港イベントに備えたイメージアップのために、戦後数十年に渡って黙認してきた商売をいきなり一斉に摘発するのが、警察の仕事だろうか。芸術は、残念ながら貧しい者を食べさせられない。人はパンのみによって生きるにあらずというけれど、パンがなければ成り立たない話である。

繰り返しになるが、自分たちの街を変えていこう、という住民の想いは、否定していない。しかしその過程で見捨てられ、忘れられた人々に対しても、優しさを向けるべきではなかろうか。そしてそれこそが、行政の最も重要な仕事ではないか、と思う。誰だって、自分たちの街の治安を悪くした人々に対して優しく振る舞うのは難しい。だからこそ、行政だけは、それをしなければならない、と思う。

もしかしたら、そういった試みも行われたのかもしれない。しかし、クリエイティブな取り組みの話題に比して、かつて街を構成していた人々についてはついぞ聞かない。

ここを去った人々のことを考え、一抹の寂しさを感じた。

横浜駅西口界隈

生まれ変わった横浜駅西口。右奥、JR YOKOHAMA TOWERと書かれている。JR博多シティみたいだ。

黄金町を散策して、トーストでは足りなかったのかお腹も再び空いてきたし、日ノ出町駅から京急に乗って横浜駅に移動することにした。横浜駅には、私の好きなカレー屋がある。

横浜駅に来たのは半年ぶりくらいだと思うが、その間にずいぶん様変わりしていた。JRの巨大な駅ビルができ、通路が増えていた。お目当てのカレー屋は、西口の相鉄ジョイナスの地下にある「カレーハウスリオ」。もしかしたら新宿西口の「11イマサ」なら知っているという方もいるかもしれないが、かなり似通ったタイプの店である。どちらもココイチやC&Cのようなチェーンではないが、ターミナル駅に直結しているため、多数の客を捌くために同じくらい効率化されたカレースタンドである。値段は比較的低廉で、サラリーマンが外回りの途中で昼食を素早く取るような店だ。トッピングの種類が多く、レベルの高いオリジナルのルーがあり、60年近い歴史があるという点でも共通していて、やはりかなり似ている。

私は食事に対して特別の関心がないので、吉野家のような「うまい、早い、安い」の三拍子が揃った店は好みである。新宿だったらC&Cに行くかもしれないが、横浜にはカレースタンドは他にはない。そういうわけで1人で横浜を訪ねる際はリオによく来ている。

ここのカレーが、絶品というわけでもないのだけれど、なんともいえない良さがある。安心するような味である。少なくとも30年くらい全然変わっていないのではないか、という風情がある。感染症対策で座席数を半分にしていることもあり、またお昼時ということもあって、満席で数人並んでいる(といっても回転が速いのであまり待たされない)状態だったので写真はないが、インターネットにいくらでも上がっているのでどんなカレーなのか興味のある方は見ていただければと思う。

お腹を満たした後は、休みたくなる。ターミナル駅の周辺には大抵、高度経済成長期以来そのままといった具合の喫茶店があるものである。これまた外回りのサラリーマンが、休憩がてら一服するような店である。軽くインターネットで調べて、リオから比較的近い「キャビン」という喫茶店に目星をつけた。

横浜駅は複雑怪奇なことで有名だが、周辺地下街も負けず劣らず複雑である。リオは相鉄ジョイナスの地下2Fにあるが、1フロア上がった地下1Fに地元の書店チェーンであり、文庫本のブックカバーを選べることで知られる有隣堂がある。この有隣堂横浜駅西口店が、地下街の複雑さを表す見本となっている。

横浜駅西口店は、正確には「横浜駅西口ジョイナス店」、「横浜駅西口コミック王国」、「横浜駅西口エキニア横浜店」、「横浜駅西口店医学書センター」の4つで構成されている。前2つはジョイナスの地下にありすぐ近くなのだが、後2つはエキニア横浜という別のビルの地下にある。ジョイナスとエキニアは地下でつながっている。ジョイナスの地下部分だけでも迷えるくらい広大なのに、そこにおまけのようにエキニアがくっついているという寸法である。そのエキニアの地下、有隣堂と同じフロアに、先述の喫茶店「キャビン」がある。

横浜で茶でもしばくかとなれば、大体馬車道またはジョイナスのサモワール(ここのアイスロイヤルミルクティーは絶品、ジョイナスの方は禁煙になった様子)に行ってしまっていたので、「キャビン」は初めてだったのだが、ここがまたすごく落ち着く喫茶店だった。

大箱の多いターミナル駅の喫茶店にしては驚くほど小さく、テーブル席がいくつか、カウンターが数席、といったところ。だからあまり多くは入れないのだが、少し外れた場所柄ゆえか、満席になるということはなかった。なぜか複数人連れはおらず、1人客ばかり。ここでは写真を撮ったのだが、あいにく写ルンですで撮って現像していないので、お見せできない。

常連客と思しき人とスタッフの会話によれば——盗み聞きしようと思わないでも耳に入ってくる距離である——普段はマスターがいるらしいが、ベイスターズの応援のためその日は不在とか。奥さんとバイトらしき女性の2人で回していた。席数が少ないので、お客さんが一気に何人も来るということがなければ、それなりに余裕があるようである。その慌しくない感じが落ち着けるポイントだったのかもしれない。

そこで筑摩書房のKindleセールで購入した『駅をデザインする』を読み終え、ちょうど横浜駅や周辺の駅の例がたくさん出てくるので興味深く思ったのち、店を後にした。

高島界隈

もう少し散歩してから帰ろうと思い、猥雑なところやかつて猥雑だったところばかり巡っていたので、多少洗練された街並みも歩くことにした。先ほどまでずっと横浜駅の西口にいたが、今度は東口である。

みなとみらいと言うと、ランドマークタワーやクイーンズスクエア、コスモワールドと言った桜木町駅周辺を思い浮かべてしまうが、横浜駅東口のそごうの横あたりからすでにみなとみらいの範囲である。例えば日産自動車の本社があり、新高島という駅もある。

みなとみらい大橋の下。

横浜駅からみなとみらいの中心部にアクセスするときは、いつも高島の辺りはすぐに通り抜けて横浜美術館の方へ向かってしまうのだが、あえて高島周辺を散策することにした。日産自動車の脇を抜けて、みなとみらい大橋の下をくぐると、スケボーに興じる若者たちがいる。片や日曜に仲間とスケボー、片や1人で訳のわからぬ散歩、などと思いながら横を通ると高島水際線公園という公園がある。

高島水際線公園の最奥部。左は帷子川、右は高島貨物線の線路。

公園の最奥部まで至ると、繁茂した植物と川、無骨な単線の線路、そして威容を誇るタワーマンションの林立、という素晴らしい光景を目の当たりにすることができる。洗練された街並み、と言いつつ結局このような場所に惹かれてしまう。洗練だけでは満足できない。私がみなとみらいだけでなく、お台場、幕張など臨海の新都心が好きなのはこのような空虚さにある。歩行者の人数に対して幅員が広すぎるプロムナード、摩天楼の合間にある空き地。生活の匂いなど全く感じられない。白昼夢のようだ。

この公園は、かつて高島駅という貨物駅があった跡地に整備されたらしい。写真の右に写っているのはその貨物線である。どうせならここを通りすぎる貨物列車も写真に収めたいと思い、時刻表を調べてみたが、普段貨物列車の時刻表など見ることはないし、示されている貨物駅がどの辺りにあるのかもわからないので難儀した。調べ始めた時点ですでに10分くらいこの景色が望める位置にいたのだが、ちょうど10分後くらいに貨物列車が通り過ぎるかもしれないとわかった。しかし「不定期運行」とある。それが来なかった場合の列車はさらに20分後くらいで、それを待つ気にはなれない。

というわけで10分ちょっと貨物列車を待っていたが、走らなかった。何枚か写真を撮って帰路についた。