The Focal Distance

若さとはこんな淋しい春なのか

4月13日(月) すごく雨

今日も日記を書く。まだ2日めなので続かない方がおかしいが。

昨日、日記を投稿した後すぐに寝て、今日は昼過ぎに起きた。典型的な怠惰な生活である。とはいえ、僕にとって昼過ぎに起きるというのはそこまで生活リズムが崩れている方でもない。ひどいときは日が沈んでから起きているくらいの夜型人間である。

そういうわけで睡眠薬を医者にもらっているわけだが、睡眠薬を以てしても一度崩れた生活リズムを直すのは難しい。そのためにはどこかで早く眠って活動時間を削らなければならないから——とまで書いたところで、睡眠時間も多少削って早起きすれば良いことに気づいた。そうすれば2日のスパンで見れば活動時間にさしたる差はないだろう。ただ、そのためにはアラームをかけなければならない。休みの日にアラームをかけるのは流儀に反する。またアラームをかけたからといって必ず起きられるというわけでもない。

そもそもなぜ、睡眠薬を飲んでいるのに生活リズムが崩れるのか、という話なのだが、最低でも2週に1度以上は16時間くらい眠ってしまう日があって、そういう日に崩れ始める。なんなんだろうか。睡眠の質というのか、そういうのが悪いのか。そういう日は大体一度は目覚めて、なんなら朝ごはんを食べたりもするのだが、その後耐え難い眠気が襲ってきて寝てしまう。予定がある日にはほとんどそういうことはないのでまだマシだが、非常に困る。生まれてこの方、「規則正しい生活」とは仲良くなれた試しがない。

さて、今日も明るい気持ちにはあまりなれなかった。東京の天気は最低だったので尚更。
良いことがあるとすれば、連日のようにZoomやDiscordで人と話しているのだがみんな暇しているので、また場所も関係ないので、普段なかなか会えないような人とも気軽に話せるということ。そういう久しぶりの再会が何人かあった。しかし、オンラインで、特にZoomで話すと、尚更現実に会いたいという感情が増幅させられるような気がする。中途半端に情報が入ってくるからむしろ物足りないような気持ちになるのだろうか。
せっかくなのでこの機会に久しく会っていないような人となるべく話し、「コロナが終わったら会おう」などと約束しておきたい。

それにしても、「コロナが終わったら」という言葉はなんだか不安な響きがある。数ヶ月とかでこれは終わるのだろうか(終わらない気がする)。そして、これが終息する頃、自分は生きているのだろうか。自分がいつ死ぬかなんて普段からわからないのだが、 こういう状況だと多少意識させられる。自分は死なないだろう、という根拠のない楽観があり、「自分はまだ若いから」などとどこかで思っていて、それがなかったらきっと精神を保っていられないだろうとも思うのだが、実際には29歳以下は死なないなどと決まっているわけでもないので、僕の年代でもきっと誰かは死ぬ。そしてそれが自分にならない保証などどこにもない。自分がそうならなかったとして、周りの人間がそうならない保証も当然ない。

などと思いつつ、一方でそろそろ喫茶店に行かないと死んでしまうな、と感じる自分もいる。最後に喫茶店に行ったのは3月31日で、そのときすでに自粛要請は出ていたのであまり褒められた話でもないのだが、近所の良い喫茶店が4月1日より禁煙になるというので別れを惜しみに行った。それからほぼ2週間が経つ。2週間喫茶店に行かないなんて、大学に入ってから初めてだろう。懐事情によって回数は増減するが、週に複数回喫茶店に行く人間である。

以前、喫茶店でコーヒーを飲めて音楽を聴きながら本が読めたらほかに人生で望むことはない、というようなことをツイートした覚えがある。その控えめな願望すらかなわないのだから困ってしまう。精神的には、喫茶店に行くのは緊急かつ必要な用事になりつつある。

自分が喫茶店に行けないのも辛いが、喫茶店で呑気に過ごせるような世界が再び訪れたとして、その頃には喫茶店がなくなっているのではないか、という気がするのも辛い。
気がするというか、現におばさんがひとりでやっている、近所の人しか行かないあそこの喫茶店がこの世相を乗り切れると正直思えない。しかしそこは、煙草が吸えて、ちょっと時代遅れの漫画が置いてあり、使っている氷が実はなかなか良いもので、くたびれたソファは座り心地が良いということを僕は知っている。さぼうるみたいに有名でも、ファンがいるわけでもないし、地元の人間でも鄙びた喫茶店を好む人以外は目にも留まっていないのではと思わされるが、そういう喫茶店が一番居心地が良いのに、真っ先になくなってしまいそうである。あのおばさん、諦めてしまうんじゃないだろうか。

あの店はこの騒ぎがなくても、遅かれ早かれなくなるだろうとは思う。個人店だから現今の条例下でも客に煙草を吸わせてられるが、喫煙への眼差しは厳しくなる一方なので、そのうちすべての店が屋内禁煙になるのではないかと睨んでいるし、そうなったら近所の人も来なくなるだろう。仮にそうならなかったとしても、誰か継ぐ人がいるようにも見えないから、店主の身に何かあれば 潰れてしまう店である。

それでも、こんなことで潰れて欲しくはない。いまその店が潰れるか潰れないかは、人間がなんとかできる種類の問題だと思う。せっかくまた外に出かけられるようになっても、行くところがなくなっていたら悲しすぎないか。これをなんとかしてくれる人がいるんじゃないかと思ってしばらく待ってみたが、誰もなんとかしてくれないように見える。自分でなんとかするしかないらしい。

そういうことを考えると、余計に喫茶店に行きたい気持ちが高まってしまう。自分がお金を使いに行かなかったらなくなってしまう、と思ってしまう。せめてテイクアウトでもやってくれれば買いに行くのだが、そんなことを新しくやる余裕もなさそうだし、それを宣伝する力もないくらい、どうしようもなく「昔はこういう店がどの街にもあっただろう」と思わされるような、そんな喫茶店なので望み薄である。その程度の店は潰れてしまっても問題ないという向きも多かろうが、そうやって淘汰されていったら、多分、普通の街にはスターバックスしかなくなってしまう。

これってなんとかなりませんかね。本当に。