The Focal Distance

若さとはこんな淋しい春なのか

4月12日(日) 雨

緊急事態なので日記でも書こうかなと思う。本当の理由は『戦中派不戦日記』を読み返していることで、あの文語体で綴られた読み応えのある日記を読み返すと日記を書きたくなる。1週間と続いた試しはないんだけど。でもとりあえず1ヶ月の予定のこの緊急事態宣言が終わるまでならなんとか書けるかもしれない(多分書けないな、と思いつつ)。

本当は昨日誕生日で、22になったので、それを機に始めたらなんだか節目のような感じでちょうどよかったんだろうけど、あいにく昨日はDiscordで友人らと話したあと睡眠薬を飲んだら当然のように寝落ちてしまったので書けなかった。

今日もDiscordで友人らと話したのまでは同じだが、まだ睡眠薬を飲んでいないので、眠れないし、眠らないでいろいろと考え事をしておきたいという気持ちもある。

今起こっていることについての感情を整理して書くのはとても難しいが、端的に言おうとすれば憂いだろうか。なんだか馬鹿な動画を上げている首相を憂い、GDP25%減などという予測が立てられている経済を憂い、日に日に凄まじくなっているような国民の分断を憂い、何より先の見えない自粛生活を憂いている。あまりにも答えがなさすぎじゃないか?

精神的に辛いことがあると、大抵旅行に出る。旅行先で大したことをするわけではない。いつもと同じようにTwitterなんかを見ているし、土地の食べ物も帰り際に空港で食べたりする程度のことが多い。それでも、知らない街を見ているだけで、気分が安らぐ。日常からの逃避行であり、それは普段過ごしている場所からの物理的な距離を確保するだけで十分達成される。

しかしいまはそれが封じられている。まさか日本に生まれて、旅行すらできなくなる事態が起こるとはな。自分のストレス発散が下手だとは思っていなかったが、それは基本的にどれも外に出ることによるので、こういう事態だとまともにストレスを解消できない。

家のなかでできる趣味も、ないわけではない。インターネットを無限にしてられるし、積読だって20冊くらいある。引きこもり生活に備えて本を買ってくる程度には周到である。ただ、前者は暗くなる情報ばかりが溢れていて、ずっと触れていたらまずいだろうという予感がするので、あまり積極的に趣味としてやりたくはない。

それにしても想定外だったのは、本が読めないことだった。活字を読む気になれない。とくに新しい本は読み出せない。既に読んだことがあるものでも小説はなんだか気乗りせず、そういうわけで『戦中派不戦日記』を少しずつ読み返している。一気に読むと楽しみがなくなってしまうので。心に余裕がないと、物語を楽しむ気力がなくなってしまうようだ。

幸いにして、他にもやることはある。大学の開始も遅れ、友人と遊ぶ予定も入らず、こんなに勉強に良い時期はないだろうと思う。プログラミングのスキルを磨くつもりもある。しかし実際に行動に移す気力もないのは天気が陰鬱だからだろうと信じたい。

結局、Twitterをずっとスクロールして延々と不要不急の情報、人々の怒り、愚痴、冷笑、嘲笑、そんなものばかりを目にすることになる。そして自らも新しいそれらを加えていく。それに飽きたらDiscordやらZoomやらで友達と現今の状況の愚痴を言ったりして気を紛らす。

自分の置かれている状況が、他に比べてこれでも凄く気楽なことは理解している。僕は休学やら何やらを挟んで卒業が遅れるので、いま、就活のない大学4年の春休みという、ほぼ無職とも言っていい立場にある。実家暮らしで明日の飯を心配する必要もない。一応たまに働いているが、家でできる仕事だし、決まりきった労働時間があるわけでもない。今年中学校に入る弟のほうがいろいろと悩ましい状況じゃないかと思う。

しかしそれでも、ここは地獄か、と日に何度か思う。時間が有り余っているからよしなしごとを考えてしまうのかもしれない。週5日8時間ずつ(あるいはそれ以上)働いている人にはこんなことをだらだらと考える暇はなさそうだ。

ここまで書いて、日記と言っているのに全然出来事の描写がないな、と思う。仕方がない。家から出ていないのだから。起きたとかご飯を食べたとか風呂に入ったとかそれくらいしか書くことはない。毎日その日思ったことを書き連ねていけばそれもまた日記と言えるだろう。なんだか急に眠くなってきたのでここまでで終わりにする。日記を書くのは睡眠に良いかもしれない。単に気圧が低くなっているからかもしれない。