The Focal Distance

若さとはこんな淋しい春なのか

5月12日(火) 曇時々晴

8時手前くらいに起きた。

昨日のくしゃみは治ってやはり寝不足が原因だったような気がする。ただ、それはそれとして眠さがコーヒーを飲むまで消えなかった。もう体調が万全な日というのはなかなかない歳なのかもしれない、と思った。あるいは単に日頃の不摂生がたたっているのかもしれない。多分後者だろう。

SPIとかいうのを学部4年の5月にして初めて受けた。ああいうテストはダメだな。処理速度がそんなに早くないので。現実の世界では問題について考える時間は意外とあるのに……などと思うが、腰を据えて考えるような仕事よりも簡単なタスクをぱっぱとこなしていく方が大抵の人には求められているのだろう。

そんなこんなで昼になり、プロフェッショナルの真鍋大度の回を見たり、弟妹の家庭学習課題の量の多さにびっくりしたりしながら過ごした。
家族でUber Eatsを夕飯に頼んだのだが「配達済み」という表示になったにもかかわらず届かないとか、別のデリバリーアプリから頼んだのも予定から遅れてくるなど、なんだか配達の運に恵まれない感じだった。
そのあと、noteにオンライン化の弊害について憂うような記事を書いた。

そういえばルーターを昨日入れ替えたのだが、入れ替える前よりはマシだが結局調子が悪いときが度々あるので、やはり返品・交換してもらうしかないような気がする。

夜は仕事の打ち合わせが2回あった。これから忙しくなりそうな感じがする。こんなときでもやることがあるのはありがたい。むしろ、こんなときだからこそ仕事が来るような業種だからかもしれない。

あー、しかしずっと座っていると腰が痛いな。後傾姿勢で背もたれにずっともたれていれば多分マシなんだろうけど、それだとディスプレイが遠いし、ディスプレイを近づけると机のスペースが狭くなる、というアンビバレントな状態にある。

今日は文章をかなり書いたので日記の文章をうまく整理して書く気力がない。いつもあんまりまとまりはないけど……。そういえば4月の12日に日記を書き始めたので今日で1ヶ月になる。日によって長かったり短かったりしたけれどとりあえず毎日日記を書けたな。コロナ禍のあいだにできたこととして「日記を毎日書く」だけは挙げられるようにしたい。

ずっと家から出ない暮らしをしていたら、むしろ家から出て過ごすというのがどういうものなのか、かなり忘れてしまった気がする。どうせ完全に「コロナ、恐るるに足らず」となるまでには治療薬かワクチンが行き渡るまで時間がかかるので、仮に緊急事態宣言が解除されたとしても、外に出ることが躊躇われる気持ちは残り続けるだろう。でもこの生活になんだか慣れてしまったのだから、中途半端に外に出て、中途半端に家にいるみたいな生活にもそのうち慣れるだろうし、そして二十数年にわたって続けてきた従来の生活も、すぐに思い出すだろう。