The Focal Distance

若さとはこんな淋しい春なのか

noteに別れを告げた

noteに書いた文章のほぼすべてをこのブログに転載した。 依然としてnoteにも同じ内容の記事が重複して載っているが、しばらくしたらそれらの記事を、「以下の記事はブログに移行しました」という旨の文章に差し替えるつもりだ。

noteを使うのをやめた理由はいくつかあるが、端的に言うと、noteが悪いというよりはおそらく、単に not for me だったということに過ぎないのだが、つらつらと書くので、まあこういう考え方もあるんだなあ、ひねくれてるなあ、くらいに読んでもらえれば良いと思う。

ブログとnoteの使い分けが不要になった

これはかなり個人的な理由なんだけど。

このブログのアーカイブを見てもらえるとわかるとおり、もう4年以上ブログを運用している。途中でURLを変更したり、ブログサービスをはてなブログ→WordPress.com→はてなブログ(PRO)と移動したりしているので、あまり連続性はないが、ずっとThe Focal Distanceという名前のブログに僕が書いた文章の多くがあるという状態にはなっている。

noteで最初に文章を載せたのは大学に入ってからなので、既にブログを持ちながらnoteを使いはじめたわけだが、どういう意図で運用していたかというと、ブログがTwitterでnoteがFacebookみたいな感じの使い分けをしていた。公っぽい文章はnoteに書いて、個人的な記録に類するものはブログに書くという方向だ。 実際に、自分のFacebookで書いたnoteの記事を紹介したことは多分あるが、ブログの記事を紹介したことはない。

しかし、Facebookをほぼ使わなくなったのと同じ感覚で、だんだんとその使い分けが曖昧になってきて、わりとブログでも公っぽい文章を書くようになってきたし(ひとつには後述するいくつかの点が気に入らなかったため)、逆に途中でnoteに結構ふざけた記事を載せていたりもしたので、別に分けておく必要ないなとはずっと思っていた。後半はほとんどそのときの気分みたいな感じで投稿する先を選んでいた。

機能の不足

ごくまれに、脚註を多用した文章を書くことがあるのだが、noteでは脚註の機能がないので、こういう記事を書くことができない。1

それから、カテゴリがない。カテゴリの代わりにマガジンやタグがあるが、前者は「別にマガジンなんて大げさなものじゃないんですよね」と思うし、後者は、たとえば「#数学」のようなタグをクリックすると、いろいろな人の書いた「#数学」タグの含まれる記事が延々と出てきて、僕が書いた文章のなかで数学に関するもの、というような表示の仕方ができない。2

さらに言うと、箇条書きもない。小説とかエッセイを書くならば、基本的に箇条書きは要らないので潔い態度かもしれないとは思うけれど、文章にもいろいろあり、noteの深津CXOの記事でも箇条書きを使っているように、記事の方向性次第では必要だろう。3

サービス側の意向で、表現する幅をあまり制限されたくないので(そんな制限はTwitterやInstagramで十分なので、楽しみのための文章くらい好きに書きたい)、機能がデフォルトでシンプルなのはいいことだけど、必要なユーザーにはそれを提供してくれるくらいの方が僕にはありがたい。

デザイン

僕はウェブサイトを自分で制作できる技術を持っているので、このはてなブログにおいても公式に用意されたテーマを利用しつつ、一部を好きなようにカスタマイズしている。

でもnoteでカスタマイズできるのは本文を明朝体にするかゴシックにするかくらいだと記憶している。4あとはアイキャッチを載せるとか……。誰が書いたどのnoteを読んでいてもほぼ同じデザインなのは、結構奇妙なことじゃないだろうか。

その点で言うと文庫本とかもそうじゃないの? という話だし、デザインが統一されていることで中身に集中できるみたいな側面はあるのだと思うが、文庫本の場合は出版社という中央集権の組織にコンテンツの分配を託しているから仕方ない。noteも同様の意味で仕方ない。でもウェブは中央集権じゃないのがいいところなので、良さを殺しているなと思っている。

サービスの方向性

そもそも文章を既存のウェブサービスにあまり書きたくない5と思っているのに、その方向性が気に入らなかったらなおさらだ。

note(とcakes)は最近いろいろやらかしていて、それらも良くないことだったけど、僕が嫌なのはコンテンツのエクスポート機能がないことと、どことなく感じる「ていねいな暮らし」的な空気。

エクスポート機能がない、というのは結構痛い。noteで文章を書きためていた人が、何かしら気に食わない点が出てきて別のウェブサービスに移行しようとなったときに、それまでの記事をコピペして移行するのは骨が折れる。100記事くらいならまだしも、1,000記事とか2,000記事にも上る可能性は長く使っていれば、例えば3年間日記を毎日noteで書いているケースを考えれば、十分にある。6

「ていねいな暮らし」的な空気についてはうまく説明しがたいけど、運営による『はじめてのnoteガイド』の序盤を引用する。

noteへ、ようこそ!

noteはクリエイターが文章や画像、音声、動画を投稿して、ユーザーがそのコンテンツを楽しんで応援できるメディアプラットフォームです。だれもが創作を楽しんで続けられるよう、安心できる雰囲気や、多様性を大切にしています。

この「街」のようなサービスでは、普通のひともプロのクリエイターも、企業も、あらゆるひとが好きなものを見つけたり、おもしろい人に出会えたりするチャンスが広がっています。あなたもnoteでの創作や交流を楽しんでください!

おう!! ってなりますね。その実、競馬予想だのクソみたいな就活情報だのの販売にも使われてたりするのは風刺っぽくて面白いけど。

noteというサービスの方向性については、エクスポート機能の話も含めて、この記事にも(僕の文章とは比べものにならないくらいしっかりと)面白いことが書かれているので、興味があればどうぞ。

愚痴

これは愚痴だけれど、この文章を書くために改めてnoteについて調べている最中、noteの深津CXOによる『noteにおける情報商材について雑感』という記事を読んだ。

冒頭に、「なぜこの記事が削除されて、あの記事は削除されないのかというような問題については、普通お答えしない。なぜなら……」というように、一般的な企業が削除基準を提示しない理由を挙げるくだりがある。そのあとで、

会社としては正しい対応ですが、僕としては、可能な範囲ではケアしてあげたい問題です。…なので、非公式ながら見解をば。

という段落が続く。この「ケアしてあげたい」という言い回しよ。「ケアしたい」じゃだめなんだろうか。我々はさまよえる仔羊で、深津CXOはそれを導く神か! と個人的には思う。

本当に、こういうところなんだよな、と思ったので、挙げました。7

おわりに

noteで、人々がコンテンツを簡単に収益化できるという理念は素晴らしいと思うし、購読している書き手の方もいるので、noteを退会は(とりあえず)しないが、以上の理由によりnoteに文章を書くことはやめました。

「note、気に食わないけどこの機能が必要」とか「他のサービスはよくわからなくて」みたいな理由で、他のウェブサービスに移れないという人はTwitterのDMとかで相談していただければ、なにかしら代替案など出せると思います。

気が向いたら、なぜ結局はてなブログに舞い戻ったのかとか、Googleもできるだけ使うのをやめたいと思っていることとかを書いていくつもりです。

参考


  1. なおこれを書いたときブログに使っていたWordPress.comのなんとかプランも脚註の機能がなくて、WordPressなのに終わってるなと思った。

  2. 認識に誤りがあったら教えてください。

  3. 完全に余談だが、この記事では、筆者自身が記したであろう箇条書きが、おそらく見た目上の背景色などを変えるためだけに、HTMLで引用を意味するblockquoteタグで囲まれており、全然セマンティックじゃない。ブログサービスに完全にセマンティックなHTMLを生成することなど要求していないし、程度問題になるが、見た目のために自分で書いたコンテンツを引用として扱うのは気に食わない。

  4. これがあるだけでも結構ありがたいけど。

  5. Twitterは思い切り既存のウェブサービスだが、あそこにあるのは文章ではなくて気持ちの切片みたいなものなので別に良い。

  6. なお、noteのエクスポートツールを(勝手に)つくって公開している人はいる(が当然、いつまでそれが許されるか/公開されるかはわからない)。

  7. ついでに言うと、cakesの度重なった炎上を鑑みると、noteとcakesは別サービスといえど、そのような見識の会社で、様々なコンテンツの適切性を本当に判断できているのか、と思ってしまう。非常に難しい問題で、無謬なんてあり得ないけど。