The Focal Distance

若さとはこんな淋しい春なのか

「ダイバーシティ」の欺瞞

今日、こんなツイートをしたが、もう少しこれに関する問題意識について詳しく書いておこうかな、と思ったのでこの文章を記す。

初めに断っておくと、私は「企業は多様性をきちんと担保しろ」と思っているわけではない。私企業なのだから、それぞれの基準で人を選別し、誰を雇うか決めれば良いし、そうでなかったら成り立たないだろう。
そうではなく、実際にはある程度の均質さを保っているのに、「ダイバーシティを尊重し」とかなんとか言っているその欺瞞に腹を立てている。

結局、ダイバーシティを謳う会社も、2020年の社会通念上許されていない選別をせず、許されている選別はしているというだけなのだ。たとえば、人種や性別、宗教などによる選別は、もう73年も前から日本では社会通念に(一応)反しているのでやらないかもしれないけれど、学歴やスキルによる選別は許されているので、それはやる、といった具合。最近だと、喫煙者不採用の会社も増えてきたけれど、これも結局現代の「健康」という至上命題のもとでは許される選別だから行っているわけだ。

大卒以上しか、あるいはせいぜい高専卒以上しかいないような均質な集団をつくっているような大企業に限って、多様性とか言っているのだから、本当におかしなこと。仮に学歴で弾かないとしても、大抵の場合はコミュニケーション能力が一定以上あり、ある程度真面目に働く人間しか求めていないくせに。結局はそういう「理想的な」人材しか雇おうとしていないのだから、多様性なんて謳うのはやめた方がいい。

世の中にはもっとずっと色々な人がいるし、自分とは全然違う人をインクルージョンする覚悟などないのに、多様性を謳うのは欺瞞以外の何物でもない。
「当社の基準に満たない人材は求めておりませんし、当社の企業文化に適合しない方も採用致しかねます」と堂々と言えばいい。現実には多かれ少なかれそうしているのだし、実際そうすることが必要なのだろうから。
別に多様性を1つの企業内で担保する必要などそもそもないし、社会にいろいろな集団が存在していて、どこか受け皿があればいいという話なのに。

一番たちが悪いのは、子供を育てながら時短勤務をしているお母さんがいるとか、同僚に白人や黒人がいるとか、社食にハラールの食事があるとか、そんなことで「うちの会社はダイバーシティが実現できている」と本気で思い込んでいる人がいそうなことだ。もちろん、そういったことができていないよりは、できていた方がずっといいだろうと思うけれど、それはまだ多様性を本当に担保しているとは言えないし、そんなのは社会に学歴とかスキルといった横串を刺して、その上にいる人たちだけを見て多様と思っているだけのこと。軸は横だけじゃなくて、上下にもある。

どんな肌の色をしていようが、どんな神を信じていようが、どんなライフスタイルを送っていようが、結局は大学を出て、人とある程度はまともに話せて、身だしなみは整っていて、というような従業員しかいなかったら、それは結局均質な集団ということだし、それを認めた方が良い。