The Focal Distance

若さとはこんな淋しい春なのか

5月5日(火) 晴のち雨

昨日はずっと起き続けていた。午前1時半くらいに寝た。

ちょっとは進捗を出せるかなと思ったがWikipediaで同和事業に関する項目から始まり、その後人種差別に関連する項目を読んだりしていたら夕方になっていた。仕方がないのでMacのファイル整理なんかをした。ゴールデンウィークが何の生産性もないまま終わろうとしていることに驚きを禁じ得ない。

僕は横浜で生まれた後はずっと東京の多摩地区に住んできたが、おそらくこの辺りに育った同じ世代では、縁戚に同和地区で生まれ育った人でもいない限りは、同和についての意識は極めて稀薄である。学校で習った覚えすら正直ない。全国水平社が部落解放同盟になったことくらいは習ったかもしれないし、軽くは取り上げられていたのかもしれないが……。

誰かが同和について差別的なことを言ったり、小学生がふざけて部落などと言うこともない。そもそも部落は集落と同じ意味と捉えている人が結構多そうである(そして本来的にはそれは正しい)。逆に中国人や韓国人に対するヘイトは書店に行けばいくらでも見られるし、実際にも時々耳にしてきたので、そちらの問題のほうが当地でははるかに深刻であるように感じられる。

今の高齢者が若かった頃には結婚のときに相手の出自を調べるというのも一般的だったかもしれないし、差別意識をお持ちの方もいるのかもしれないが、彼らがいなくなったあと、少なくとも東京では早晩同和問題はほぼなくなるのではないか、というのは甘い見通しだろうか。逆に関西では、つい最近までいろいろとあったので(所謂「同和利権」に対する反発なども含めて)根が深そうである。関西は独自の文化を保っているけど、それって人の出入りが少ないからではないかと思うし。

などと書くと、コメント欄が燃え上がったりするのかもしれないが(というほど誰も見ていないと思うが)、これは単なる日記であり、感想に過ぎない、というエクスキューズをしておく。よく調べたわけではなく、ただその日に関連する記事を読んで思った個人の感想を、日記に記しておいただけであり、主張ですらない。

あくまで僕の周りでは意識することはほぼないという話であり、未だに(東京でも)同和問題について苦しむ人がいることを否定するものでもない。また、僕個人としては当然だが他人の出自など一切気にしていない。何せ自分の出自もよくわからないのだから。