The Focal Distance

若さとはこんな淋しい春なのか

「ていねいな暮らし」以外

「ていねいな暮らし」に対して、次のような批判がよくなされる。

曰く、「ていねいな暮らしは、社会を改善しようとせずに自分の生活を工夫することで悪い状況を乗り切ろうとする行為で、それは体制に荷担しているようなものである」——というような論だ。それはおそらく正しいだろう。

『暮しの手帖』を創刊した花森安治は戦時中、「ていねいな暮らし」的な生活によって「銃後」をまっとうしようと呼びかけていたのだし、現在の「ていねいな暮らし」が大好きな人がみんな愛読していそうな『ほぼ日』の糸井重里なんか、昨今の感染症に関連して「責めるな。自分のことをしろ」とツイートして炎上した。まさしく、という感じである。

私自身だって、「ていねいな暮らし」はどことなく鼻につくと思う。なーにがていねいな暮らしだよ。こっちには暮らし自体が存在しないんだぞ。まともな生活なんて全然していない。でも一方で、ていねいに暮らせたらおそらく楽しいだろう、精神が安定するだろう、とも思う。

マクドナルドに行って何がどう加工されたのかさっぱりわからないようなジャンクフードを食べるより土井善晴の本でも読んで新鮮な野菜を農協の直売所で仕入れて一汁一菜をつくったほうがおいしいに決まっているし、また充実しているに決まっているし、それが本来自然なのかもしれない。それをしないのはただ私にはいまその余裕がないだけだ。余裕があってもそんな生活力はないかもしれないし、やっぱり鼻につくのでやらないかもしれないが。

だから、上のような批判に対して思うのは、ではこのクソみたいな社会状況で自分で生活を工夫することなくどう人生を楽しんでいけば良いのか、ということである。「ていねいな暮らし」以外の活路はどこにあるのか?

Twitterで社会や政治に対して常に怒っているように見える人は(私もその傾向は否めないが)やはり人生が楽しそうには見えないのだし、かといって生活も政治も俺には関係ないねというような顔をして虚業に邁進し六本木で遊び歩いている人にもまったく憧れることができないし。

今のところの自分の答えとしては、月並みだが、おそらく結局はバランスなのだろうと考えている。ほどほどにていねいに暮らしつつ、ほどほどに家系ラーメンでも食べつつ、ほとほどに金を儲けつつ、ほどほどに政治に文句を言いつつ、という。それがいいのだろう。そして多くの人がおそらくそれを採用しているのだろう。美しき中庸の世界よ。

でもその「中庸」だっておそらく「ていねいな暮らし」の変奏に過ぎないのであって、信奉するイデオロギーが違うか、もしくは単にイデオロギーがない、ということではないだろうか。結局「中庸」を取ろうが「ていねいな暮らし」を取ろうが人生は充実させられるのかもしれないし、しかし社会は依然としてクソである、ということにならないだろうか。

そのようなことを考えると、「ていねいな暮らし」はおそらく社会にとっての正解ではなく、かといって「ていねいな暮らし」以外の活路も見いだせないし、そもそもこれが活路である、と思えるようなやり方などないのかもしれない。社会を変えるというのも抽象的に過ぎ、いずれにしたって1人の人間の手には余ることだと思ってしまうしなあ。全然考えがまとまらない。何も判らない。

なお、「ていねいな暮らし」を採用するかどうかとかで迷える時点でかなり余裕のある悩みだろう、というのは承知している。たとえば毎日長時間労働や低賃金に苦しんでいる人、家庭環境に苛まれている人などはていねいに暮らす余地など端からないと思われる。「ていねいな暮らし」を視野に入れることもできない人々がクソみたいな社会状況の本当の被害者だろう。

102のこと

 俺は父親の顔を知らなかった。今でも知らない。知りたい、とは少し思うが興信所に頼むのに必要な手間や金銭的な損失を厭わなくなるほどではない。どうせろくでもない奴だろう。既にどこかで野垂れ死んでいるのかもしれない。それさえもわからない。
 父親がどういう人物かはどうでもいい。重要なのは父親の不在だ。そしてもうひとつ重要なことだが、母親は美人だった。息子が、自分の母親を美しいと形容するのはナルシシズムのようなものが感じられて抵抗があるが、その躊躇いもなくなる程度には。
 実際、幼い子供、つまり俺を連れていても頻繁にナンパされていた。子を伴う女に声をかけるというのは、どういうつもりなんだろう、と今は思う。仮にそれが首尾良く運んだらどうするのだろうか。一緒にディズニーランドでも行って疑似家族団欒をやるのだろうか。
 実際にそれをやった男がいた。さすがにディズニーランドではなかったが、ロイヤルホストに行った。俺からすれば似たようなものだ。どちらも必要以上に高い。
 普段ナンパをすべて、完膚なきまでに無視していた母が、どうしてその男にはついていったのかわからないが、幼稚園児には機微のわからない繊細なコミュニケーションの末、母はその男と一緒に暮らし始めた。俺も否応なくそうなった。

 一緒に、と言ったがそれは正確ではない。母と男は同じアパートに住んだが同じ部屋ではなかった。母と俺は202号室に、男は102号室に住んだ。だから母は男のことを「102」と呼んだ。俺もそう呼んでいた。
 102は子供は嫌いではなかったらしく、俺に優しかった。よくミニカーや図鑑を買い与えてくれた。母にはもっと優しく、というかほとんど言いなりだった。母が「米を買ってきて」と電話すると買って202号室に届けてきた。米を運んできた102に「皿を洗って」と言えば洗った。
 母は102と結婚しなかった。恋人と呼べるような関係だったのかもわからない。俺は自分に父親がいないということを既に理解しており、102が父親ではないということもわかっていた。母にとっては配偶者の、俺にとっては父親の不在を代替するような存在ではなかった。しかし部分的にはその機能を果たしていたし、果たしている部分については一般的な父親よりはるかによく果たしていた。

 しばらくそういう奇妙な生活が続いて、俺は小学校にあがった。その頃には102が202号室に来るだけではなく、母と俺が102の部屋(つまり102号室)に行くこともあった。なぜかその部屋の光景をはっきりと覚えていて、それは長ずるにつれてよく目にするようになった部屋と似ていた。若い男性の一人暮らし、という言葉からイメージされるよりかは多少きれいなものだ。わりと几帳面な方だったのだろう。102の部屋にはプレイステーションがあって、3人でよく桃鉄をやった。
 桃鉄、桃太郎電鉄は日本列島を舞台にした双六ゲームで、プレイヤーは鉄道会社の経営者となり、ランダムに決められる目的地に一番早く着くことを目指しつつ、道中で不動産を購入したり、特殊な効果のあるカードで他のプレイヤーを妨害したりして、最終的に定められたゲーム内でのターン数を終えたときにもっとも総資産が多いプレイヤーが勝利する、というゲームである。
 俺はそれを通して日本の地理を把握したと言っても過言ではない。母は桃鉄が強く、よく俺や102に大勝していた。今思えば、102はよく俺にも負けていたので手心を加えていたのかもしれない。ゲームで102を妨害することで嗜虐的な精神が満たされるのか、母の現実の振る舞いはいくらか優しいものになり、以前のような苛酷な要求をすることはなくなっていた。少なくとも、お米を買いに行くのと皿を洗うことを続けざまに頼まなくはなった。

 そのような安穏とした日々が続いていたのだが、ある日、学校から帰ると母が「102とはもう会えない」と告げた。俺は102にかなり懐いていたので悲しくないわけではなかったが、同時に102とずっと一緒にいるわけでもないのだろう、とどこかで理解していて、それほどの衝撃を受けたわけではなかった。その日、プレイステーションと桃鉄を買ってきて母と俺とCPUで対戦した。十分に楽しかった。

 102号室は数ヶ月の間空き部屋となっていたが、しばらくして三十路のサラリーマンと思しき男が住み始めた。その人が2代目の102だ。俺の認識しているところでは、当初は母と何ら関係のないただの一人暮らしの男だったのだが、なぜか彼も母に尽くすようになってしまった。102(初代)がいなくなったことより102(2代目)が現れたことの方が衝撃だった。102(2代目)は102(初代)より少し無愛想だったが、やはり優しい人だった。
 中学に上がる頃、102(2代目)は北の方へ引っ越したと告げられた。それがなんらかの不和によるものなのか、先方の事情によるものなのかはよくわからない。102(2代目)はそんな義理もないだろうにいくばくかの金を残していったらしく、母はそのお金を「遺産」と呼んだ。おそらく死んではいないので不謹慎にもほどがあるが、そういう種類のユーモアを好む人だった。母がどこからか定期的に手に入れてくる金と、その遺産で母子家庭のわりには恵まれた暮らしをしばらくした。

 102号室はといえば、また数ヶ月空き部屋となって、今度は女性が引っ越してきた。彼女は有り体に言えば水商売風の身なりの人で、実際には何の仕事をしているのかはよく知らないが、とにかく102(3代目)にはならなかった。102という存在はもうないのだな、と102(初代)や102(2代目)のことをときどき思い出した。
 俺の高校受験と前後して、女性は引っ越していった。志望した高校に無事に合格し、入学式を迎える頃、102号室に男性が引っ越してきた。四十路くらいだろうか、年齢は判然としないが50は行っていないだろうというくらいの人で、背広を着ている姿を見たことはない。髭を生やしていて、なんらかの業界の人、という感じだった。
 後に判ることだが、彼は実際に業界人で、フリーランスとして映像制作の仕事をしていた。なぜそんなことが判ったかというと、彼が102(3代目)になったからだ。そうなったと知ったときは、母に対する畏怖と尊敬が同時にやってきた。

 母も年を取って丸くなり、また安定を求めるようになったのか、俺が成人するのを待って102(3代目)と結婚し、郊外のもう少し広いマンションに引っ越して同居するようになった。こうして3代に渡った102は本当にいなくなり、母は彼を名前で呼ぶようになったのだが、俺はかたくなに102と呼び続けた。
 102(3代目)としては、お父さんとか、それは無理でも名前で呼んで欲しかったようだが、もはや俺には102は102でしかなく、むしろとってつけたような「お父さん」とか「親父」なんて呼び方より遙かに親しみを持てたのだが、102(初代)が一番好きだったとか、もう102号室にはおそらく別の人が住んでいるとか、いろいろなことを考えて、大学を卒業する頃には102と呼ぶのをやめた。

 いまは608と呼んでいる。これが彼にはふさわしいと思う。

鷺沢萠のこと

鷺沢萠(さぎさわ・めぐむ)という作家がいる。

1968年生まれ。学芸大附属世田谷中学校、都立雪谷高校卒。上智大学外国語学部ロシア語学科除籍。19歳で文學界新人賞を受賞しデビュー。2年後には芥川賞の候補にもなっている。

鷺沢萠の話をTwitterなどで何度かしているし、僕にとって特別な作家だ。 若くして才能を発揮し、何度も芥川賞や三島賞の候補になり、小説も優れているのだとは思うがそこまで好きではなく、ではなぜ特別なのかというとエッセイが良い。

エッセイもしかし、世間的にはすごく優れている、というわけではないと思う。小説の方が評価されているんじゃないかな。でも、80年代の終わりに上智で学生をやっていた、ヘビースモーカーで、麻雀が大好きで、マニュアル車を乗り回す、才能にあふれる勝ち気で強い女性と、その周りの人々の(今から見ると陽気な)生活、その空気みたいなものがそこには閉じ込められている。

三宿のレストランに車で乗りつけてうまい料理をたらふく食べてワインをがぶ飲みし、ホテルを借りてまた鯨飲。合間には麻雀。友人と突発的に海外へ。なんだか豊かすぎる。246と山手通りと青山通りが主戦場なのか。なんで学生なのにみんな車を持ってるんだ。

別に同時代の大学生や同時代の日本人がみなこれほど遊んでいたとも豊かだったとも思わないけれど、そうは言っても、こういう元気で強くて遊びまくっている人が、もう周りには全然いない。女性ならなおのことだ。

今の主流の雰囲気は、わりと真面目に授業に出て、ほどほどにサークルに参加し、サークルではそんなに高くなく良くもない居酒屋で飲み、3年になると急にTOEICと就活の話しかしなくなり、無難な卒論を書いて卒業する、みたいな路線になんとなく乗っかろうとしている感じがする。当時の主流は、もう少しお金のある方向で、そしてもう少し遊ぶ方向だったのではないのかなと思う。

そういう失われた豊かさに憧れるので、彼女のエッセイにはなんだか当てられる。当人たちはそれをそこまで豊かだとも思っていない感じがするのもすごい。あまりに時代の空気を閉じ込めてしまったばっかりに、時代を超えた普遍性みたいなものには乏しい。だから2021年を生きている人の多くにとって面白いものではないんだろうし、事実エッセイの多くが絶版になってしまっているけど、自分には特別刺さる。

最初に鷺沢萠のことを知ったのは、自分の誕生日をWikipediaで見ていたときのことだ。そこに名があった。誕生日が一緒なのではなく、命日がその日で、2004年に36歳で亡くなった。死因は、色々な意見があるが一般的には自殺と考えられている。

そんな訳はないんだけど、彼女は日本が豊かだった時代の寵児で、だからそれが失われる時代には生きられなかったのではないかな、などと思ってしまう。そういうことを、国の威信をかけたであろう行事すらまともにできそうにないくらい劣化してしまった日本の姿を見ながら思った。鷺沢萠が生きていたら、いま何を書いているのだろう。

宮沢章夫先生のツイートについて

もう3日もまえのことになるが、劇作家で早稲田大学文学学術院教授の宮沢章夫氏が以下のツイートをしていた。

午前2時半くらいに投稿されているのだが、これを見てから1時間くらいずっと思い悩み、よっぽどリプライで問いただしてしまおうかと思ったが、私が宮沢氏の立場だったとして、30も下の学生からリプライで以下のことを問いただされたらかなりへこむと思ったのでやめた。

だから単にツイートを連投して気持ちをぐしゃぐしゃと書き殴っていたのだが起きてから恥ずかしくなったので消した。でも、3日経ってもまだ微妙に気が収まらないので、ツイートを連ねるのではなく、もう少し整理して書くことにした。


先のツイートは、言っていることも現代的な価値観にはかなりそぐわないと思うし、個人的にはあまり好感を覚えないし、書かれている内容だけで十分怒りに足ると思う人もいるだろうが、私が何より怒りを覚えたのはこの発言の仕方である。

何が「あまりに失礼なのでやめました」だ、と思う。本当に失礼だと認識しているならばこのツイートもしないべきだろう。逆に、いやこれくらい言っても許されるでしょ、面白いでしょ、と思っているならば、「思わず写真を撮り『Photoshopは偉大!』と投稿」してしまえばよかったのだ。なんだこの中途半端な言い方は。

私見に過ぎないが、大方、これは面白いと思うけど、これやったら燃えるだろうな〜、でもすげえ言いたいからちょっと遠回しにしておくか、くらいの感覚なんじゃないの、と思ってしまう。実際には違うのかもしれませんけどね。

そういう気持ちだったとして、私にもそういう機会は訪れるから理解できる。でもこんな安直な、「ツイートしようと思った、ということをツイート」なんて迂回の仕方はしない。実際にはしてしまっているかもしれないけど、したくない。そんなのTwitterで何度も見たよ。仮にも高名な劇作家で、早稲田大学教授というご立派な肩書きのある人間なんだからもっと工夫してくれないものか。

まあ、たかがTwitterにそんなことを求めても仕方ないのかもしれないけど、ツイートひとつでも劇作家、言葉で食べているひとの発言なんだと認識されることを、私なんかが言わなくても十分わかっていると思うけれど。


繰り返しになるが、本当にそれが面白いと思っているのなら、写真つきでPhotoshopは偉大、と言ってやればよかったのに。私はそれを面白いともたぶん思わないし、賛同もしないけれど、己の信念や感性に恃み、直截な物言いをする人はとても好きだ。仮に考えがまったく合わないとしても、その人の言葉は聞く価値があると思う。

いや、ストレートな言葉だけが優れているというわけではないし、迂遠ゆえに効果を発生する表現があるのも知っている。私はそういうのも好きだ。しかし、こんな言い方は、先ほど述べたとおり安直すぎるし、ちょっと卑怯なんじゃないか。

いささか話が飛躍するが、先のツイートを見たとき、劇作家の大学教員がこんな物言いをはばからない国だから、政治家のあのような物言いもまかり通るのだな、となんとなく納得させられた。どちらも言葉を裏打ちする信念のようなものがないように思われる。自分の考えを誠実に話せとかそういう次元の話ではない。

別に思ってもないことを言ってもいいし、どちらもそれが必要な職業だと思うけれど、端的に言えば、自分がそれを発言することになんの信念もないから安直な迂遠さに走り、または会話が成立していないような答弁を平気でできるんじゃないの、ということだ。そういう人を相手にしては対話の土俵にも立てない。

仮に氏が、20代の学生を怒らせ氏を反面教師にしようと考えさせることを、あるいは政治家が、彼らとは対話のしようがないと思わせることを、それぞれ狙っているのであれば、彼らの目的は非常に効果的に達成されており、やはり言葉で食べているだけのことはあるな、と思わされるのだが。できればそうであればいい。


(追記 2021-07-08 20:15) 怒りに身を任せて書いていたら、写真とともに「Photoshopは偉大」と言うことそのものの迂遠さについてまったく触れないで論を終わらせてしまったので、ちょっと欠けている感じがしますね。すみません。

ワクチンについての所感

いつ打てるのだろう、とずっとやきもきしていた新型コロナウイルスワクチンの接種も進んできて、もしかすると年越しはマスクなしで過ごせるかもしれない、という程度の展望は見えてきた。

ワクチンというのはもとより頻繁に議論の的になるものだが、今回のワクチンは、現在パンデミックを引き起こしているウイルスを対象にしたものだから、誰もがそれについて考えて、なんらかの決断をせざるを得ないために、余計にそうなっている。

できるだけ早く受けたいという人もいれば、不安がある、という人もいるだろうが、私の観測範囲では前者、少なくともワクチンについてかなり肯定的な人の声が大きい。

私自身も、科学の方法というものを基本的に信頼していて、特にmRNAワクチンについてはリスクとベネフィットを比較したとき後者の方が圧倒的に大きいと判断しているので、そして一刻も早く現下のどうしようもない社会状況から抜け出したいと考えているので、少しでもそれに近づけるよう、順番が回ってきたら今のところ打つつもりではある。

しかし気になるのは、ワクチンについてあまりにも無条件に肯定しすぎているのではないか、と感じられる言説がときどき見られることだ。そして、ワクチンについて不安に思う人の気持ちを黙殺するか、ともすれば「陰謀論に踊らされている」とか「反ワクチン」とか簡単な言葉で切り捨ててしまうような空気が生まれていて、「せっかくワクチンでコロナからおさらばできそうなのに足を引っ張っている奴」という敵視すらあるように思う。

私にはそういった態度は単なる思考停止に見える。それは、科学の方法からもっとも遠い態度じゃないだろうか。


「専門家」の言うことを信じて疑わず、それが本来持っているリスクについてほとんど誰も検討しなかった結果が、福島原発の事故だと思う。

もちろん、原発とワクチンは違う。でも、原発も、人類社会にとって善良な目的を掲げて開発され普及し、そして多くの専門家は、海外で度重なる原発事故があっても「日本の原発は安全である」と口を揃えた。そして、それは誤っていた、ということがわかった。

科学は人間の営みで、当然誤る。誤らないから科学を信頼できるのではなく、誤りを訂正する仕組みを持っているから信頼できる。そしてその誤りを訂正する仕組みも、政治や経済、あるいは自尊心など他の要因が介入すれば、容易に働かなくなることがある。

そういうことを、我々は原発事故で学ぶべきではなかっただろうか。いまワクチンを礼賛している人は、ほとんど科学を信仰しているように見え、それは陰謀論者と同じくらい、科学的態度というものを持っていないのではないだろうか、と思う。


現代の科学はあまりに細分化が進み、かつ高度なので、誰もすべての分野についての専門家にはなり得ない。だから、当該分野の専門家の主流意見にとりあえず従っておく、というのは基本的には賢い処世術だろう。私もほとんど森羅万象についてそうせざるを得ない。

例えばワクチンについて、自分でリスクやベネフィットを判断しようにも、生物学や医学の知見がなければかなり難しい。そしてそれを素人が判断しようとすれば、科学的に正しいとは言えなさそうな主張をしている「専門家」の意見に踊らされてしまうかもしれない。その「専門家」の意見が正しそうかどうか判断するための知識がないし、それは一朝一夕には身につかない。

それで陰謀論に与することになるくらいなら、偉そうな人の言っている、主流の、正しそうな意見に従っておけ、というのはわからなくはない。実際大抵の場面においてそれが結果的にも正しいだろう。

誰かが、自分の頭で考えようとした結果、陰謀論に与することになり、そして落とさなくて良い命を落とす人がいるのかもしれないのだから、この問題はとても難しい。


それでも人は、何事をも盲信せず、ある程度自分の頭で考える余地を残したほうがいいと思う。ワクチンについて不安な人、慎重な態度を取る人はいるべきだし、事実いるのだし、それを簡単に一蹴してしまうことのほうが、ワクチンを打たない人がいることより恐ろしい。人間のつくったすべてのものと同じように、ワクチンはおそらく完璧ではない。だから、程度問題になるが、それについて懐疑的な目線は存在しているべきだと思う。そうでなければ見過ごされるものがあるだろう。

最初に述べたとおり、私自身は今のところワクチンを打つつもりである。でもそれは、いろいろな考えやデータに触れ、個人的に打った方がいいだろうと判断した結果に過ぎず、それが本当に正しいのかどうかは、私にはまったくわからない。というか、本当に正しいという確証はどこにもないだろうし、これからもないだろう。ただ、正しそうだ、というデータや論理が積み重なっていくだけだ。

ワクチンのこともよくわからないが、コロナのこともよくわからないのだし、まあそれなら打った方がいいかな、というレベルの判断をしているだけで、こんな適当な判断を他人に押しつける気になど到底なれない。

そして私よりは多くの知識を持っているにしても、大抵の人はおそらく生物学や医学の専門家ではないだろうし、だからこそワクチンを救世主のように信じる人もいれば、ワクチンを打つとマイクロチップが体内に組み込まれると信じる人もいるのだろう。後者の考えを他人に広めたり押しつけたりするなと言うのであれば、前者の考えも他人に広めたり押しつけたりする種類のものではないように思われる。

人生の予測不可能性について

未来のことは、誰にもわからない、ということはみんな知っている。

でも、人は本当にそう思っているのだろうか。

僕は「人生は何があるかはわからない」という考えが、もしかしたら人並みよりは強いのではないか、ということをたまに感じさせられる。


具体的な話をしよう。

僕には良い大学を出て、良い会社に入って、それで人生が「あがり」だとはまったく思えない。上司がクソ野郎で鬱になるかもしれない。結婚した相手の両親が重い病気になって苦労するかもしれない。子供が非行に走って人を殺めるかもしれない。会社で何らかの悪事に荷担させられるかもしれない。せっかくのマイホームが地震で跡形もなく崩れ去るかもしれない。

みんなそういうことを意識しながら生きているのだろうか。あまりそうは思われない。

別に悪いことだけが起こる、と思っているわけじゃない。良い大学を出て、良い会社に入ってみたら、人間関係は最高だし任されたプロジェクトで莫大な成果を挙げてトントン拍子に出世。結婚相手とは本当に仲が良く子供もすくすくと成長し国立の医学部へ。マイホームを購入したらその周辺の地価が上がりに上がり、55で家を売ってローンを早めに完済、余ったお金で郊外に別荘を……、というようなことだって起こるかもしれない。

純粋に、何があるかは、わからない、と思っているということだ。

そして悪いとそのとき思われることが悪いだけのことかも、わからない。義両親が重い病気になって苦労した経験をもとに脱サラして始めたビジネスで財をなすかもしれない。せっかくのマイホームが崩れ去って泣く泣く別の場所に引っ越すと隣人の家族もジャズが好きだと判明して、その後生涯一緒に演奏を楽しめるようになるかもしれない。

良いとそのとき思われることも同じだ。良かれと思ってした選択が最終的にはあだとなる経験など、誰もがしたことがあるのではないだろうか。本当に、何があるかなんて、誰にもわからない。


確率という面では、世間の集合知が導き出した「よいだろうと思われる人生のキャリアパス」を選択した方が、おそらく幸福な人生を歩む人は多いだろう。でも、それを心から選べる人ならともかく、本心ではそれをしたいとは思っていないのに、「合理的な」選択をするのはどうなのだろうか。それで考えたようにことが運ばなかったら救いがないのではないか(もちろん、そうなってすらも後にはあれで良かったと思うのかもしれない)。

人生に何があるかは、本当に、ただただわからないのだから、どうせなら自分のしたいことを選んだ方が後悔がないのではないだろうか。まあ、若いころの判断力は未熟なので、たとえば世間の集合知に乗っかっておけば良かった、とか途中で思わされることもあるかもしれないが、それでもやはり、最終的にはそれが功を奏すかもしれないのだから。功を奏さないかもしれないが、結局それは、その時点では判断ができない。したいようにした結果ならば、それをまだ引き受けやすいのではないだろうか。

いずれにせよ、最終的には自分が死ぬときに初めて、選択の答えが決まるのだろうと考えている。

東京近郊(2021年5月)

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千葉県野田市。見たことのない種類の道路です。
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新宿。
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池袋。
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小田急相模原。
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府中。
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どちらも御茶ノ水。
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渋谷。
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3枚とも六本木。
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溝の口。
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秩父。
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秋葉原。
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