面白かった本(2016)
今年は前半はあまり本を読まなくて、後半(文化祭終了後)はそれなりに読んだ。
順番は特に面白かった順とかではないです。
死ぬくらいなら
自殺した人に向かって「死ぬくらいなら会社や学校をやめたりできただろう」と言う人がいる。
合理的に考えればその通り、どうせ死ぬんだったら会社をやめたって学校に行かなくたって別にいいじゃないか、となるんだけど、そこまで冷静に判断できるような人は自殺しないんじゃないかと思う。
人間って眠気が限界を超えると勝手に寝ていることが多いけど、それと同じで、疲労が限界を超えると勝手に死ぬようにできているのではないか。「過度の疲労」という生命の危機から逃れる方法が死だなんて矛盾していると思うけど。
なんだか疲れたり、落ち込んだりしているときに駅のホームで電車を待っていたりすると、「いま、あと一歩踏み出したら楽になれるな」などと思うのは結構誰でもやったことがある気がする。多くの人は、「楽になれるな」と思うだけで少し余裕が出てきたり、あるいはそこまでの勇気はなくて踏みとどまることができるんだけど、(肉体的・精神的な)疲労によって冷静な思考力と精神的な余裕を欠いた人は「楽になれるな→楽になろう」と短絡的に行動してしまうのではないか。
文末が「ではないか」とか「なんじゃないか」とかばっかりだけど、自殺したことがないので自殺する人の精神状態を推察することしかできないので、仕方ない。この推察さえも、まったく見当外れに終わっている可能性もある。それに、ここでは「肉体的・精神的な疲労によって追い込まれた人の自殺」を考えているけど、もうずっと希死念慮を抱えていたり、あるいは何らかの精神病に由来したり、自殺の理由は星の数ほどあるだろう。大した理由もなく自殺する人もきっとたくさんいる。
恋人や友人が自殺しないためにはどうすれば良いのかと考える。死ぬ前に「この人、もう限界が近いな」と気付いて、その人を追い込んでいるものから逃れさせることができればいいのだけど。しかし、実際には恋人や友人でもその人の心中や思考を完全に理解することはできないので、その「フラグ」を見落としてしまうことも、結構多そうだ。もし「この人死にそうだな」と気付けたら、無理矢理美味しいものを食べに行ったりできるのだけど。
死ぬくらいなら、寿司やステーキやスイーツを食べてから死んだ方が良いし、死ぬくらいなら、お金借りてでも高級ソープに行ってから死んだ方が良いし、死ぬくらいなら、自分を死ぬまで追い込んだ奴に一泡吹かせてから死んだ方が良いのだけど、食べたりセックスしたり復讐したりというのは極めて生命力に溢れた行動なので、自殺する直前の人に、そういうことを思い至らせるのはたぶん難しい。難しいけど、できれば死んで欲しくない。
死ぬくらいなら、とりあえず全財産はたいて、美味しいものおごってからにしてくれよ、と「死にたい」と零す友人には言っているんだけど。死ぬ前に、奇跡的にその言葉を思い出してくれることを期待して。
1993年
北野武の「ソナチネ」を観た。映画それ自体もとても洗練されていて面白かったのだが、映画を観ていて思ったことがあった。
ソナチネは、1993年公開の作品であるが、2016年の現実と比べて、あまり作中の景色が変わっていないのだ。ぱっと見てわかる違いは、車のデザインと携帯電話が使われていないことくらいか。
23年前、生まれる前の時代の日本と、現在の日本がほとんど変わらないというのはなんだか不思議な気分で、たとえば1970年と1993年の風景を比較したときに明確な違いがあるだろうことを考えると、この23年間の日本の発展してなさが気になる。いや、情報通信関連では大いなる発展があったんだろうけど。
いまから23年後は2039年で、随分と未来を感じさせる数字だが、2016年からさして変わらないんじゃないか、と思わないでもない。
若いうちに
今、18歳だ。築18年のアパート、と聞くとそれなりの古さを感じるが、18歳の人間はまだ若い。
あと半年したら、19歳になる。ついでに大学生になっているかもしれない。それから1年したら、20歳になって、法律上成人ということになる。このタイミングで大学生になっている可能性もある。
ついこの間まで、15歳だったと思う。高校受験に向けて、それなりに勉強をしていたし、塾で友人をつくることを覚えて、少し変わった人間とつきあい始めた。
高校受験に成功して、それなりの期待を持ちながら高校に入学して、期待を裏切られる部分もありながらも、いろいろなことに顔を突っ込んだり煙たがられたり彼女ができたり別れたり芝居を打ったりしているうちに、あと半年で卒業、というところまで来てしまった。あっという間の3年間。気付けば僕は18歳。あと1年半で成人。それから大学を出て場合によっては就職するかもしれない。時の流れが速い。
たぶん、若いうちにしかできないことがたくさんあって、たとえば恥ずかしい恋愛をするとか、漠然と将来に不安を持つとか、深夜に突然友人に電話してしまうとか、河原で叫びだしてしまうとか、そういったことがいつまでできるだろうか、と思う。あと5年くらいじゃないか。
おそらく歳を取るとともに、生きることに慣れてしまって、物事に心を揺さぶられるとか、何かを恥ずかしく思うということが少なくなってくるのではないだろうか。そうなる前に、若いうちにしか味わえない感情や行動をたくさん経験しておきたい。このブログは今考えていることを記録しておきたいという意味もあるのかもしれない。
というわけで、とても若いということに価値がある(=歳を取りたくない)と思っているんだけど、この前文化祭で演劇をやって、公演に演劇の原作者であるゲキバカの柿ノ木さんが来てくださり、「おっさんになっても楽しいことはありますから」みたいなことを言っていたのが印象的で、その言葉に結構励まされている。