The Focal Distance

若さとはこんな淋しい春なのか

高1の冬、東京・大阪間をヒッチハイクした話

2年前、高校1年の冬休みに、東京から大阪までヒッチハイクで往復したことがある。id:phaさんの文章を読んでいて、急にそのことを思い出したので、文章で記録しておこうと思う。

なんかお金もないけど時間はあって、ちょっと変わった旅をしてみたいなあ、という人は読んでみてほしい。

経緯から説明すると、お金もないけれど冬休みに旅がしたくて、部活にも入っていないので時間だけはたっぷりあり、ヒッチハイクをしようと思いついた。ちょうどそのころ「銀河ヒッチハイク・ガイド」を読んでいたから、というのもあるかもしれない。目的地は大阪にすることにした。大阪までヒッチハイクしたら良い経験になるだろうというのと、僕はもともと建築に興味があったのだが、梅田スカイビルに行ったことがなかったので、それを見てみたい、という理由が一応あった。とりあえず、100均で画用紙を買っておいた。

本当にヒッチハイクをするかどうか決めかねていたのだが、冬休み初日、夜更かしをしていて、外山恒一が書いたヒッチハイクの文章を読んで、深夜のテンションも手伝って行くことに決めた。大阪まで日帰りでヒッチハイクするのは無理だろうと思って、宿を取ることにした。そのとき、財布には五千円しかなかったので、なるべく安いところを、と思いカプセルホテルに泊まってみることにした。アメ村のあたりにあるエコキューブ心斎橋(http://eco-cube.jp/)というところが、当時は確か一番安く、サイトのつくりもしっかりしていたのでここの予約を取った。まあ、たどり着けなかったらキャンセルしよう、と思った。

そのままその日はヒッチハイクのプランを練りながら徹夜して、朝、日も上らないうちに家を出て、電車で用賀にある東名の東京インターチェンジまで向かった。用賀にはそのとき初めて降りたのだが、駅前にオフィスビルがあって通勤するサラリーマンが結構いた。この人たちはこれから仕事をして、俺はこれから大阪に行くんだな、と思った。東京インターの横にマックがあって、コーヒーを買った。店内で窓の外を見ながらコーヒーを飲み、画用紙にマジックで「大阪方面」と書いた。

飲み終わってから店を出て、マクドナルドの近くで画用紙を掲げて乗せてくれる車を待った。車が止まれるスペースも確保して。30分くらいしたあと、もうひとり男性が来て、同様のことをし始めた。彼もまたヒッチハイクをするのは初めてらしい。「寒いですね」などと会話を少しして、車を待っていた。その男の人は、後にわかることだが、福岡を目指す20代後半の会社員ということだったので、福岡さん、と呼ぶことにする。たぶん2人より1人の方が乗せやすいだろうなと思って、僕は福岡さんとは少し離れて車を待った。

僕がトイレかなんかに行っていたのか、少し場所を離れていたときがあり、戻ると、福岡さんの前にトラックが止まっていて、運ちゃんと何やら話していた。福岡さんが「2人とも乗せてくれますってよ」と僕に話しかけてきたので、ご一緒させていただくことにした。この後、僕は福岡さんと2人で大阪まで行動を共にすることになる。

最初のトラックの運ちゃんは、ヒッチハイクの経験者だそうで、「インターチェンジだと車はなかなか乗せてくれないし、大阪まで行く車は少ないので、いきなり「大阪まで」なんて書いても、「乗せてあげたいけど大阪までは行かないし…」などと無視されてしまうことが多いから、サービスエリアで、「次のSAまで」と書いた紙を持ってやるのが良い」という風に教えてくれた。僕たちはそれに従うことにした。運ちゃんは港北PAで僕らを降ろして去って行った。運ちゃんが教えてくれた方法はたしかに凄くて、僕はこのあと20分以上車を待つことがなかった(最初2時間も待ったのに)。

港北PAから海老名SAまで乗せてくれたのはリッチな雰囲気の老夫婦だった。なんか、息子に事業を譲り渡して、いまは余生を楽しんでいます、という感じの。実際、「熱海へ旅行へ行くんです」と奥さんが言っていた。車はベンツのSクラス。Sクラスに乗ったのはこのときが初めてだったと思う。ご主人が運転され、おとなしそうな見た目に見合わず結構スピードを出すのだが、静かで安定した走りで、これがSクラスか、と思った。奥さんに「どうしてこんなことをなさっているの?」と、おそらくお金がないのを半ば真剣に心配され、僕は「学生なのでお金がないんです」といった返事をしたが、福岡さんはおそらく楽しみのためにヒッチハイクをしているようで、返答に困っていたように見えた。

その後僕たちは新東名を経由して大阪まで向かうこととなった。たしか海老名PAか、その次あたりで乗せてくれた人が新東名経由で名古屋まで連れて行ってくれたので。その人も軽トラみたいな小さめのトラックの運転手だったのだが、すごいスピードでウインカーも出さずに車線変更をガンガンして追い抜いていくものだから、とても怖かった。大阪に着いてから福岡さんと「あれは怖かったですね」と話したくらいに。名古屋走りってこんな感じかな、と思った。

最終的に三重か和歌山あたりから僕たちを大阪に連れて行ってくれたのは、九州から来たという二人組の男性で、なんだか午前二時のドンキホーテにいそうな見た目だったが、いい人たちだった。ただ、途中で運転を交代したときに、助手席に変わった人が「こいつ免許持ってないんだけど、ごめんね!」と爽やかに言ったもんだからびっくりしてしまった。ヒッチハイクをする方もする方だが、乗せてくれる方もくれる方だ。

夜の7時過ぎ、用賀についてから12時間、難波のあたりで降ろしてもらったとき、すごい、本当に大阪に着いた、と思った。タダで大阪まで行けた、人の善意だけで大阪まで来れた、と一種の感動を覚えた。あれは、たぶんヒッチハイクをしたひとでないと味わえない気分だと思う。福岡さんも大阪で一泊して、明日福岡を目指すというので、一緒に難波で降りた。福岡さんが「たまごかけご飯が美味しい店がある」とかいうので、夕飯は一緒にそこで取ることにした。店の名前は忘れてしまったけど確かに美味しかったと思う。店を出たあと、福岡さんと別れて、カプセルホテルに向かった。

チェックインを済ませた後、ロッカーに荷物を全部入れて、シャワーを浴びて、部屋に入った。カプセルホテルは初めてだったのだが、本当に寝るために必要最低限のスペースで、面白かった。とても機能的な空間だった。テレビがついていたのが意外だった。ヒッチハイクをしている最中は全く眠くなかったのだが、その日は一応徹夜していたし、部屋に入るとすぐ眠ってしまった覚えがある。寝る前に、親にヒッチハイクのことを何ら説明していなかったので、「大阪にいる」とだけLINEしたら、そこで充電が切れてしまった。充電器を持ってきていたのだが、微妙に壊れていて、途切れ途切れにしか充電できず、返事も見ないまま眠ってしまった。

翌朝、携帯が30%くらいは充電されていて、起動したらLINEや留守電の嵐が待っていた。今考えたらそりゃそうなるだろう、と思うのだが、驚いて、とりあえずヒッチハイクしたことやこれから東京に戻ることなどをLINEして、あとは充電がないのでSAごとに公衆電話から電話する、と告げた。

心配をかけてしまったなと思いつつ、まずシャワーを浴びて(車に乗せてもらう以上、清潔感だけは確保しようと思っていた)、チェックアウトを済ませて、街へ出た。昼頃まで大阪を観光して帰ることにした。スカイビルを見るために、梅田まで行った。ブランチみたいな時間帯に梅田の駅の近くで大阪らしくたこ焼きを食べた。スカイビルでビルの構造を眺めた後、正午くらいに名神の吹田SAまで電車で向かった。前日、帰りはどこから帰るか調べていたら、吹田SAは徒歩でも入れるということを知り、ICではなくSA/PAからヒッチハイクをするのが効率的だと学んでいたので、そこから帰ることにしたのだ。吹田SAに限らず、SA/PAは従業員や搬入業者のために、下道から入れるようになっているらしいが、たしか、吹田SAの情報が一番多かった。

大阪駅から数駅、JRの岸辺駅で降りた。岸辺駅のあたりは静かな住宅街といった様相で、昼下がりの住宅街にはお年寄りや母子なんかが多かった。旅をするといつも思うのだが、「もうこの景色を見ることはないかも知れない」と感じた。梅田なんかにはいくらでも行く機会があるだろうが、この大阪郊外の住宅街に来ることなんて、あるだろうか、と。地図や吹田SAについて書いたブログを参考にしばらくさまよい、吹田SAへの入口のようなものを見つけたので入った。これがルール上許されているのかわからないのだが。

さて、吹田SAでも20分以内に乗せてくれる車が現れた。トヨタの下請け会社で働いているという、20代後半くらいの会社員。車に乗ると、サービスエリアで買ったと思われるサンドウィッチをくれた。ありがたかった。いまは神戸に住んでいて、実家がある名古屋のあたりに戻るところだという。下請けに対する当たりのきつさや、高校時代の恋愛の話(彼女がいる、と言ったら、たくさん女の子と遊んだほうがいいよ、とその人は言っていた)、進路の話、神戸でスケボーをやっているという話、そのスケボーができる公園で小学生なんかとも遊んでいる話など、いろいろな話で盛り上がった。吹田から、愛知県の刈谷ハイウェイオアシスまでの長距離を乗せてくれた。顔もイケメンで、なかなか面白い人で、いつか機会があったらまた会いたいなと思っているのだが、連絡先を交換しなかったので、偶然を待つしか無い。この旅で一番悔やんだことだった。ちなみに車はトヨタで、やっぱトヨタ車に乗るんだ、と思った。

刈谷から乗せてくれたのは、40-50代くらいの男性で、仏のように優しく、そしてつかみどころのないひとだった。物静かな人で、なかなか年齢も離れているので、会話は先ほどとは対照的にあまり盛り上がらず、最近の高校では何が流行っているのか、というような話をぽつぽつとした。途中、浜松かどこかのサービスエリアでご飯にしよう、ということになり、その人が親子丼をご馳走してくれたのだが、あまりお腹が空いておらず、かといってせっかくの好意に答えないわけにもいかず、ちょっと辛い思いをしながら食べきった。なにより、その人が「僕はお腹は空いていないから」とあまりご飯を口にしていなかったのが辛かった。僕もお腹は空いていないので、この食事はもう誰にとっても幸せなものじゃないな、と思ってしまった。しかし好意はありがたかった。

その人は宇都宮の家に戻るところだといい、東京まで連れて行ってくれた。しかも、どうせ宇都宮まで高速道路に乗り続けなければいけないのに、東名の東京インターでいったん降りて、僕を用賀の駅前まで連れて行ってくれた。たぶん余計にお金もかかるのに。本当に優しい人だった。というわけで、帰りは2台で大阪から東京まで戻ってこられた。7時間しかかからなかった。

というわけで、往路5台12時間、復路2台7時間、赤の他人にお世話になりヒッチハイクで東京・大阪間を行き来できた。ヒッチハイクというのは要は人の善意につけ込んでいるわけで、あまり褒められた行為でもないのかもしれないし、ちょっと危ない橋を渡っている感じもあるが、お金の節約になるだけでなく、普通に生きていたら会えない人たちと時間を共にするという経験がとても面白かった。たぶん若いうちじゃないとできないだろう。おっさんがヒッチハイクしていても乗せづらいし、自分で金払って行けという感じもあるし。危ない橋を渡ると書いたが、ヒッチハイカーが危険な目に遭う可能性もあるが、ヒッチハイカーを乗せる人たちも、親切で乗せたらその人に刃物を突きつけられるかもしれないわけで、お互いの信頼のもとにヒッチハイクは成り立っている。人の善意を感じることができる行為でもある。

ヒッチハイクをして得られたこととしては、これだけでなく、いざとなったらお金がなくてもどこにでも行けるんだな、というような考えもある。ちょっと嫌なことがあったとき、「こうなったらまたヒッチハイクでもして今度は仙台でも行くか」などと夢想していると気分が良くなってくる。ヒッチハイクは全然他人(特に女性)にお勧めできるものではないが、自己責任のもとやってみたら面白いかもしれない。あくまでも自己責任で(これを読んで危ない目に遭われたりしたら嫌なので、自己責任だということは強調しておきたい)。これから僕がまたヒッチハイクをするかはわからないが(成人するまではもうしないと思うが)、少なくとも運転しているときにヒッチハイカーを見つけたら乗せてあげようかな、とは思う。最初に僕たちを乗せてくれたトラックの運ちゃんのように。