The Focal Distance

若さとはこんな淋しい春なのか

人生

昔の同級生が、病で高校をやめるという情報に触れた。
その人とは、もう今ではほとんどなんの関わりもないのに、なんだかセンチメンタルな気分になってしまい、知り合いがこういう状態らしいんだ、と別の、彼女とはなんの関係もない友人に話したところ、彼もまた「持病が多いので、いつそういう(病で学校をやめるような)事態になってもいいように覚悟しとけと親に言われてる」というようなことを言っていた。

 僕は風邪とかしょっちゅうひいて体は弱いけれど、幸いにして大きな病気はしたことがない。健康のことだけでなく、様々な状況を見ても、自分は相対的に幸福な人間かもしれないと思うと同時に、人生何があるかわからないなという思いを更に強くした。

昨日だったか、六本木で鉄パイプだかが落下して、それが刺さって亡くなった人がいた。その人だって、まさか自分がそんなことで死ぬとは全く思っていなかっただろうに、それで死んでしまった。

おそらく(僕は本人ではないので全くの憶測に過ぎないが)彼女だって自分がそういうふうに高校をやめることになるとは思っていなかっただろう。

悪いことばかり例として挙げてしまったが、人生では良いことも予想外に起こることがある。良いことというのは基本的に他人から見て面白いものでもないので、ここには書かないけれど、今までを振り返るとたしかにそういうことがあった。

この前石原慎太郎の「天才」を読んで、その中に(田中角栄ではない)誰かのエピソードとして、その人は霊柩車を見たときに必ず拝むというような話が載っていた。本来そういうことをするような人ではないので、他の人が理由を聞いたところ、「誰の人生にも拝むような価値がある」みたいな(記憶が曖昧だが)ことを言っていたそうだ。

たしかに、人それぞれ違う不幸と幸福を経験しながら生きてきている、と思うと、感慨深い。電車の中とかで「この人たちみんなに人生があるんだな」と思うと全ての人が幸福になればいいのにとすら思ってしまう。幸福が相対的なものならそれは実現しないが。

話がまとまらないが、何があるかわからない以上、何が功を奏すかも、何が不幸をもたらすかもわからないのであって、後々どうなるかということはあまり考えずに、「今」何がしたいかを基準に生きていく方がいいのではないかと思う。結局人間は今にしか生きられないのだし。