1993年
北野武の「ソナチネ」を観た。映画それ自体もとても洗練されていて面白かったのだが、映画を観ていて思ったことがあった。
ソナチネは、1993年公開の作品であるが、2016年の現実と比べて、あまり作中の景色が変わっていないのだ。ぱっと見てわかる違いは、車のデザインと携帯電話が使われていないことくらいか。
23年前、生まれる前の時代の日本と、現在の日本がほとんど変わらないというのはなんだか不思議な気分で、たとえば1970年と1993年の風景を比較したときに明確な違いがあるだろうことを考えると、この23年間の日本の発展してなさが気になる。いや、情報通信関連では大いなる発展があったんだろうけど。
いまから23年後は2039年で、随分と未来を感じさせる数字だが、2016年からさして変わらないんじゃないか、と思わないでもない。
若いうちに
今、18歳だ。築18年のアパート、と聞くとそれなりの古さを感じるが、18歳の人間はまだ若い。
あと半年したら、19歳になる。ついでに大学生になっているかもしれない。それから1年したら、20歳になって、法律上成人ということになる。このタイミングで大学生になっている可能性もある。
ついこの間まで、15歳だったと思う。高校受験に向けて、それなりに勉強をしていたし、塾で友人をつくることを覚えて、少し変わった人間とつきあい始めた。
高校受験に成功して、それなりの期待を持ちながら高校に入学して、期待を裏切られる部分もありながらも、いろいろなことに顔を突っ込んだり煙たがられたり彼女ができたり別れたり芝居を打ったりしているうちに、あと半年で卒業、というところまで来てしまった。あっという間の3年間。気付けば僕は18歳。あと1年半で成人。それから大学を出て場合によっては就職するかもしれない。時の流れが速い。
たぶん、若いうちにしかできないことがたくさんあって、たとえば恥ずかしい恋愛をするとか、漠然と将来に不安を持つとか、深夜に突然友人に電話してしまうとか、河原で叫びだしてしまうとか、そういったことがいつまでできるだろうか、と思う。あと5年くらいじゃないか。
おそらく歳を取るとともに、生きることに慣れてしまって、物事に心を揺さぶられるとか、何かを恥ずかしく思うということが少なくなってくるのではないだろうか。そうなる前に、若いうちにしか味わえない感情や行動をたくさん経験しておきたい。このブログは今考えていることを記録しておきたいという意味もあるのかもしれない。
というわけで、とても若いということに価値がある(=歳を取りたくない)と思っているんだけど、この前文化祭で演劇をやって、公演に演劇の原作者であるゲキバカの柿ノ木さんが来てくださり、「おっさんになっても楽しいことはありますから」みたいなことを言っていたのが印象的で、その言葉に結構励まされている。
シャノアール
立川のシャノアールがいつの間にか閉まっていて、跡地はベローチェになっていた。
シャノアールの経営会社が、シャノアールからベローチェへの転換を進めているという話も聞く。まったく困ったことだ。
シャノアールのようなフルサービス型の喫茶店が好きだ。本来、喫茶店というのはスタバのように注文したあと立って待たされる場所ではないはずだ。スタバやドトールみたいなコーヒーチェーンは全然嫌いではないけれど、喫茶店ではないと思う。それはまるで、マックスコーヒーが飲み物として美味しいけれどコーヒーでは全然ないのと同じように。
一番近いシャノアールが閉まってしまったので、最近は国立のシュベールに行く。シャノアールより高いけれど、スタバでフラペチーノを頼むことを考えたら同じくらいだろう。スタバみたいに混んでないし。
フルサービス型の喫茶店があまり好調でなさそうなのはなぜだろう。たぶん、この国から豊かさが失われているということではないか。お金に余裕があっても時間がなかったり。それはかなり、悲しいことだ。