The Focal Distance

若さとはこんな淋しい春なのか

4月21日(火) 晴

14時半ごろに目覚めた。本当は昼くらいに起きるように携帯のアラームをセットしていたつもりだったのだがなぜかかからず。15時から打ち合わせの予定だったので目覚められてよかった。スマホを見ると「高温のため終了しました」という通知が来ていた。ついでにアップデートもされていた。そのためにかからなかったのだと思っているが、もしかしたら単に気づかなかっただけかもしれない。そうだとしたら恐ろしいことだ。

あまり夢を見ない、というか覚えていないたちなのだが、なんだか奇妙な夢を見た。GigazineだかGizmodoだかに、コロナウイルスの外出抑制で変な夢を見る人が増えているという記事があった。そのせいかもしれない。

今日は、打ち合わせのあとは全然集中できず。朝から起きないとダメだなあ、と思う。コンビニに行ったり、4月の東京の平均的な気候を調べたり、サウスパークを見ていたりしたら終わった。サウスパークは、英語音声・英語字幕で構わなければ、すべてのエピソードが公式サイトで無料で見られる。すごくいいアニメだ。ポリコレなんてクソくらえという力強さを感じる。アメリカは日本より一段そういうのが厳しそうだけど、実は日本の方が世間体なんかを気にして過激な表現を自制する傾向は強いのかもしれない。
さて、そのあとは友人とLINEで通話しながら大富豪を3時間くらいして、今に至る。見事なまでに生産性のない日である。遊びにも行けないのに、建設的なことばかりするのって、なんだか辛い。ワーカホリックはすごい。

というか、高3の夏休み、ほぼ毎日朝から晩まで教室に行って文化祭の準備をして、帰ってからもずっと何かしらしていたことを考えれば(教室では偉そうなことを言っていただけだが)、別に体力がそこまでないわけでもないんだろうが。あのときは仕事(というほどでもないが)が遊びで、遊びが仕事みたいな感じだったからな。せめて人と一緒に作業がしたい。1人でデスクに向かってモニターと睨めっこは、なんとなくしんどい。実際、仕事についてはそうでない人もたくさんいるのを知っているので、すごいなあ、と思う。ある意味、息の抜き方を知っている、ということで自分を褒めたい。今日など息を抜いてしかいないが。

しんどい、などと書いているが、実際は感情がだんだんと摩耗していっている気がする。僕は決してアウトドアなわけでもないのだが、暇な日が2日連続してあったら、ほぼ間違いなく1日はどこかに出かける。それは、外、特に街を歩くことで得られる刺激が、気分転換になるからである。あまり馴染みのない街を散歩するのは病的に楽しい。
なので、緊急事態宣言が発令されそうだとなったときは、きっと家に閉じこもっているのは相当辛いだろうと思ったのだが、実際にはそこまで辛くない。正確には、辛いと感じているのを無意識のうちに感じないようにしている感覚がある。ただただ、なんだかぼんやりとするのだ。何かがすり減っている、と思う。無味乾燥、というのが近いところかもしれない。1日は確かに過ぎていき、気づけば4月も下旬なのだが、昨日も一昨日も、今日と変わらないし、明日も変わらないだろう、という感覚。もしかしたら、終身雇用のサラリーマンになったら40年くらいこの感じを味わうのかもしれない。

この災禍は長引くだろうか。きっと、年単位で続くだろう、と僕は思っている。覚悟はできていないが。それは、最低を想定しておいた方がそうなったときに楽、という精神的な防御もあるし、実際速やかに解決するとは到底思えない、という理性的な判断もある。僕はもう大学4年で、学生生活というのはほぼ最終盤である。大学やら高校やらでできた友達もちゃんといる。しかし、弟妹などまだこれからが学生生活のうちで楽しい時期だろうと思われるのに、そのうち数年間は失われるのかもしれない。いたたまれないな、と思う。勉強は、別に家でもできるから問題ない。義務教育程度ならおそらく問題なく僕が身につけさせることもできる。それより上の段階だって、今は自宅で学べる。しかし——、勉強だけしていればいいのだったら、最初から通学する必要はない。通信制で十分どころか、おそらく効率も良い。でも、彼らは例えば、高校時代に恋人をつくることなど無理かもしれない。ファミレスで友達とたむろすることもできないかもしれない。もちろん、学校に行ったからってそんなことできない人もいくらでもいるし、それで死ぬというわけでもないので、まあ別にいいというかそんなことを望めそうなだけ恵まれた奴らだ、という話かもしれないけど。それにしても、機会自体が失われるのは、残酷だ。

彼らにとって、中学校や高校のクラスメートというのは、ただ画面に映るだけの人になるかもしれない。N高とか、その辺はどうしているんだろうか。別に、同世代の人間との対人経験を積んでこなかったからと言って、どうしようもない人間になる、などとは思わない。むしろ、対人関係をバリバリ積めているスクールカーストで上位の人間がどうしようもないこともよくありそうな話である。ただ、そういう状態でも、同じ程度のカーストの者同士で、「あいつらマジでどうしようもねえよな」とか「これだから(任意の体育会系の部活)は」などと鬱屈した感情を友達とぶつけあえることも、おそらく多い。そういう、日陰者的な学校生活でもいいから、送らせてあげたい。これは中学はあまり楽しくなかったけど高校は楽しかった、という程度には恵まれた学校生活を送れた人間だから思うことかな。きっとそうだろう。

春なのに、全然喜ばしくないな。