The Focal Distance

若さとはこんな淋しい春なのか

形あるものをつくるということ

先日、知人が通う武蔵野美術大学にお邪魔した。

ムサビ自体もキャンパスの雰囲気が素敵な大学だなと思ったのだが、何よりも良いなと思ったのは形のあるものをつくっていることだった。

その知人は建築学科なので、製図をしたり模型をつくったりしていたのだが、それが私には新鮮に感じられた。

私はものをつくるということをしない人間ではない(広義には、ものをつくらない人間などいないだろうが、より狭義でものをつくる人間である)。しかし、つくるものは、プログラムや映像や画像やウェブサイトといった、コンピュータを用いるデジタルな領域に限られている。

それらは、触れることができるものとしては存在しない。印刷したり、フィルムにしたりすれば触れられるだろうが、それらはデータを物理的なメディアに記録した形に過ぎず、それを言うのであればすでにSSDやHDDに記録されている。誰もソースコードそのものには触れることができない。

その点、建築は触れることができるものとして存在している。
森博嗣は(彼自身も建築学科の教員であったが)、小説『すべてがFになる』の中で20年以上前の作品にもかかわらず今で言うところのVRを登場させ、将来にはエネルギー節減の観点からVRの中で人は暮らすことになるだろうと予言した。触れることの重要性を別の登場人物が指摘すると、触覚などのフィードバックも機械によって実現できるだろうとした。

ここから私が主張したいのは、何れにせよ「触れられる」のは重要である、ということだ。触覚のフィードバックはスマートフォンでも行われるようになった。そのコストをかけてまで、人間には触れられることが必要なのだと思う。

しかし私は、形あるものをつくることができない。そして、私が大学で専攻する(ことになっている)政治も、触れられるものではない。そういう点で、形あるものをつくることができ、形あるものを生み出すことを専攻できることを、羨ましく思ったのだった。

60年代に生まれたかった

僕は1998年の生まれだ。

2002年に幼稚園に入った。2005年に小学校に入った。小学校を出る直前に東日本大震災があった。2014年に高校に入った。2017年に大学生になった。

うまく行けば、2021年に大学を卒業する。

僕が成長して来た時代は、日本という国が着実に衰退を遂げて来た時代である。

いつの日か、「(人間は進歩しているのだから)今が、今までで一番いい時代」というような文言を見た記憶がある。なるほど、世界全体で見ればそれは正しいのかもしれない。そもそも人間が「進歩」しているか、疑問は残るが。

しかし日本の一番「いい時代」は、今ではないと思われる。

やり場のない閉塞感、余裕のない社会、目的を見失った政治、複雑化する世界、そのような世の中で僕らは育ってきた。そして、先行きに希望を持つことは、非常に難しい。同世代の人間がどう思っているか知らないが、「日本という国はすぐに滅びるかもしれない」という思いを持ちながら僕は生きている。僕はこの国が、特にこの国の都市や自然や文学が好きなのに。

60年代に生まれて、80年代に大学生活を送りたかったなとたまに思う。

80年代と現代の日本人では、物質的な豊かさはほとんど変わらないのではないだろうか(あるいは、大学生に限っては、行く人が限られていた分前者の方が豊かだった可能性も大いにある)。

穂村弘鷺沢萠のエッセイには、80年代の大学生活(二人とも、奇しくも上智大学を出ている)についての描写がある。そこに描かれているのは、きらびやかで、自由で、文化的にも豊かな大学生活である。それは、高度経済成長を遂げ、世界屈指の経済大国となり、物質的な豊かさを享受し、精神的な豊かさを志向するようになった日本社会の反映であるように見える。そして、未来には希望がある。

もちろん彼らが生まれ育った時代は冷戦の真っ只中だったし、まだまだ社会には現在から見れば「古い」思考が残っていたのかもしれないし、そこに生まれ育った人たちは「現代の方が良い」という可能性もあるが、しかし、未来への希望はあったはずだ。それとも若者はいつの時代も未来に不安を持っていたものだろうか?

僕が生まれた1998年は村上龍が「希望の国エクソダス」を連載し始めた年である。「この国には希望だけがない」と村上龍が書いてから約20年、この国には依然として希望はないし、それどころか「物質的な豊かさ」やそれを享受できる平穏な社会までも失われつつあるのではないだろうか。僕はそんなことを思いながら今日もまた自堕落な大学生活を送る。

新宿と渋谷

世の中の人間は二つに大別される。新宿が好きな人間と、渋谷が好きな人間である。新宿も渋谷も好き、というような人間は、どちらも本当には好きではないのと同じである。

僕は街を意味もなく練り歩くのが好きなのだが、それは祖母の影響である。祖母が小さい頃に僕をあちこち連れまわしてくれたおかげで、そのような気性を得ることになった。
その祖母は渋谷を好むが、僕は新宿が好きである。
もっとも、僕は多摩の田舎の育ちであり、新宿にも渋谷にも詳しいとは到底言えないのだが、それでも歩いていて感じる雰囲気の差から新宿を好む。

まず、新宿も渋谷も猥雑だという点で共通しているが、新宿は持たざる者に優しく、渋谷はそうでない感じがする。というか、新宿という街は誰でも受け入れてくれる感がある。その点渋谷は一定の基準を満たした者、おしゃれであるとか、若いとか、お金を持っているとか、そう云った人間しか受け入れてくれないと思う。テロリストのパラソルは渋谷が舞台になることはないであろう。新宿を歩いていても疎外されていると思うことはないが、渋谷は僕にとってアウェイである。これは新宿は中央線の文化圏であり、渋谷はそうでないというところによるのではないかと思っている。 

新宿や渋谷に連なる街を考えればわかりやすいかもしれない。新宿からぶらぶらと歩いていると新大久保に至り高田馬場に至る。渋谷からぶらぶらと歩いていると青山に至り表参道に至り原宿に至る。

渋谷で、歩いていて落ち着くと感じるのは、唯一鍋島松濤公園のあたりである。あの辺は閑静な高級住宅街で、やはり僕とは人種が違うのだが、それでも鍋島松濤公園がいい公園であるからだろうか。

深夜の公園のすすめ

夏が近い。

夏は、夜でも寒くない(下手すると暑い)ので深夜の公園でぼーっとするにはいい季節である。

深夜の公園に行くと、何が得られるのか。
公園によって得られるものは違うのだが、その辺にぽつんとある小さな公園では、概ね静けさと孤独が得られる。思春期の人間にとって孤独は必ず必要な体験であると思う。缶のコーラを買ってベンチに座って静かに飲もう。緑が心地よい風にそよぐのがわかる。意外と星や月が綺麗に見えることに気づく。灯りの下にベンチがあったら本を読むこともできる。夏の夜にベンチでする読書は異様に捗る。

休前日にそこそこの大きさの公園に行けば(例:谷保第一公園)、きっとカップルを目にすることができる。深夜の公園のカップルというのは実に微笑ましい。ベンチを立ったかと思えば名残惜しげにまた抱きしめあったりしている。缶のコーラを買ってベンチに座って静かに飲みながら時々眺めよう(じっと眺めていると失礼なので)。私は他人の幸せを羨むことはない人間なので(幸せは相対的なものではないと思う)、彼らに幸あれ、と思う。大抵の場合、いつかその幸せは失われるという切なさも、良い。

ところで、深夜の公園に必ずしも一人で行く必要はない。
友人と、恋人と、静かに語り合う時間を持つのは非常に素敵なことだと思う。あんまり大勢だと静かではないので、せいぜい3、4人にしておこう。大勢で騒ぎたいならカラオケでも行けばいいのであって、深夜の公園とは目的が違う。

あなたも眠れない夏の夜にふと深夜の公園に行ってみてはいかがだろうか。くれぐれも危険な目には遭わないように注意して。

1億2000万の凡人

 朝の百人町をぶらぶらと歩いていた。

 やがて都営住宅の中にある公園にたどり着き、そこのベンチでぼんやりとしながら公園を行く人々を眺めていた。

 身なりの良い、杖のついた老人が静かに煙草を吸っていた。その顔は何事にも興味がないかのように見えた。彼は何を楽しみに生きているんだろうと僕は思った。サラリーマンが何人も通りかかっていった。一様に無表情で、だいたい缶コーヒーを片手に持っていた。作業服を着たおじいさんが鳩にパン粉のようなものをばらまいてやっていた。そうして鳩がパン粉の方に集って行ったところでゴミの分別をし始めた。老人が太極拳のようなものを、ラジカセで音楽を流しながらやっていた。小学生が大量の空き缶をビニール袋に入れて学校へ向かっていた。

 この公園にいる人々は誰も天皇生前退位共謀罪の法案に特段の興味は抱いていないだろうと思った。彼らは決して国会議事堂の前でデモに参加して、テレビカメラに向かって自分の意見を主張したりしないだろうと思った。

 テレビカメラに向かって自分の意見を主張する人ばかりが世の中では目立つが、彼らのような人種は人口のごくごく少数で、世の中の大多数は、朝の百人町の公園にいるような人々だ。習慣的な毎日を過ごし、たまの贅沢で家に寿司を買って帰り、スーパーのチラシを見て家の近くのどちらのスーパーの方が安いかを比較している人々だ。テレビカメラに向かって自分の意見を主張する、才気溢れる(あるいはそのように自分を見せることのできる才能がある)人々ではなく、1億2000万の凡人がこの国を動かしているのだ。

 名もなき1億2000万の凡人のことを大切にする世の中になればいいなとベンチでぼんやりと考えていた。

幼稚園の頃

僕は1998年の生まれで、2002年から2004年にかけて幼稚園時代を過ごした。

最近のことも全然覚えていられないので、幼稚園の頃の思い出なんてほとんどは詳しく覚えていないのだが、なんとなくあの時代の雰囲気のようなものが良かった気がしている。

僕は国分寺で祖母と二人暮らしをしていた。父親はおらず(僕は実父の顔すら見たことがない)、母親は僕と祖母を養うために働いていて、あまり家に帰ってこなかった。それでも僕は寂しさを感じた覚えはなく、というのも祖母は僕のことを溺愛していると言ってもいい状態だったし、母も自分のことを大事にしてくれていることが会えばわかった。

祖母はあまり家でじっとしているのを好むタイプではなく、そんな人に育てられたせいか僕もそうなってしまった。

幼稚園が終わると、木曜日は必ずバスに乗って東大和イトーヨーカドーに行っていた記憶がある。なぜ木曜日だったのかは覚えていない。多分、幼稚園の後に行っていた学研教室の曜日だったとか、そういう理由だと思う。

イトーヨーカドーの中に入っているポッポでよくポテトやソフトクリームを食べた。書店で何か本を買ってもらえるまで帰らず祖母を困らせた。よくクレヨンしんちゃんの漫画を買った。

土日はよく科学館や博物館などに行ったりした。多摩六都科学館に何度行ったことだろう。あとは図書館にも頻繁に行っていた。家から最も近かった、国立の北市民プラザ図書館にばかり行っていた。図書館には漫画はないので、図鑑をよく読む子どもだった。北市民プラザのロビーで瓶のビックルを常に飲んでいた。

他に、家の近くには江ノ島フードセンターという1970年代にできたスーパーがそのまま現代まで生き残ったみたいな感じの店があって、よくそこでフルタ製菓チョコエッグを買った。中身よりもあのチョコレートが好きだった。あとは老夫婦が営む中華料理屋があって、ラーメンなんかを食べに行くと必ずみかんなどの果物をお土産にくれた。どちらの店も幼稚園を出る前には閉店してしまった気がする。

家の目の前は国税庁防衛庁の職員宿舎で、必然的に僕の友達は公務員の息子や娘が多かった。そんな中で僕は髪が金髪だったり片親だったりなかなかファンキーな幼稚園児だったのだがみんな本当に良くしてくれた。それらの職員宿舎も僕が小学校に上がる頃だかに建て替えの話が持ち上がり、今ではもう見る影もない。

 

高校に入ってから、自転車で幼稚園の頃住んでいたあたりを巡った。家の近くにあったオリンピックにはまだ古臭いマクドナルドが入っていた。北市民プラザのロビーにはまだビックルがあった。防衛庁の職員宿舎は近代的に生まれ変わっていた。僕の幼稚園で働いていた先生はおそらくもう誰もいなかった。変わらないものも変わってしまうものもある。どちらにしろもうあの頃に戻ることはできないし、実際のところ戻りたいとも思わない。

世の中はどんどん混沌としてきている気がするし、自分も周りの人間も成長したので余計な機微が発生するようになったし、辛いことも多い。だけれども技術は進歩し(スマートフォンがなかった頃、世の中の人は何をしていたんだろう?)、自分でできることは格段に多くなり、楽しいことも増えた。

ただ、たまに幼稚園の頃が懐かしくなる。僕が生きてきた中で、幼稚園の頃が一番静かで落ち着いた生活を送れていた。平和で、幸福で、純粋な時代だった。生きていると勝手に物事が複雑になっていって、いつのまにか自分のキャパシティを超えている。そんな時、シンプルで陽気だった生活をふと思い出すのだ。

近況

しばらくブログを書かなかった。

大学に入って、新しい環境に馴染むのに精一杯だったからだと思う。
まだ馴染めているとは言い難いのだが、最近になって少し余裕が出てきたか。

このブログを作ったのは高3の夏で、同じ高校の人にはすでに自分がどういう人間かがわかった状態でここの文章を読んでもらうことになるので、今更特に問題はなかったのだが大学に入ってから出会った人にここにある拙文を読まれるのは少々恥ずかしい。

しかし、いつかは自分がどういう人間かを大学の人も把握するわけだから、いいか、という気分で駄文をまた書いている。

僕は永遠に国高生でいる気がしたのに、気づいたら早大生をやっているのが未だに実感がない。今思えばあそこはいい学校だった。好みが分かれそうだが僕にはぴったりの学校だったと思う。

大学に入って、勉強しなければならない、という感じが強くしていたのだけど、最近はなんだか五月病気味でやる気がない。勉強にやる気がないわけではなく、基本的にあらゆるものへのやる気がないので、特段勉強がどうこうというわけではないんだけど。しかし五月病とは素敵な日本語だ。

大学に入ったら多少は今までと違うことをやろうかなと思っていたのだが、結局高校と同じようなことをやりそうな感じがしている。お祭りごとに精力を注いで、自堕落な生活を送り、勉強はなんとか留年は回避するみたいな。本当に高校時代そのものだ。

しかし大学ほど幅広い知が集まっているところも珍しいので、大学の環境を利用できるうちに学士にふさわしい教養を身に付けたいなという思いもある。早大生ならそんなことしていないで馬鹿騒ぎをしろという向きもありそうだが、勉強熱心な人も含めて色々な人がいるのが弊学の魅力ではないか。できれば馬鹿にならずにバカバカしくやりたい。

日常の感情磨耗作用とはすごいもので、せわしい日々を過ごしていると何も感じなくなってしまう気がする。今もちょっとその影響あって(そして徹夜明けということもあって)まとまりのない文章しか書けていないが、とりあえず投稿しておく。