The Focal Distance

若さとはこんな淋しい春なのか

国立の話

久しぶりにロージナ茶房に行き、国立を散歩したので色々と思うことがあった。

国立は僕が幼稚園から小学校にかけて住んでいた場所の最寄駅であり、中学の時通っていた塾がある場所であり、高校生活を送った場所である。

という訳で、大学に進学して実に久しぶりに国立という街から離れた生活を送っているのだが、だからこそ今国立を訪れると様々なことを思い出す。

僕の今までのロマンス(死語)も悪友(死語)とのひとときも受験勉強もほとんどすべて国立を舞台にして行われた。phaさんが「鴨川の河川敷を歩くと数メートルおきに思い出が浮かんできて危険だ」みたいなことを書いていた記憶があるが、僕にとっての鴨川の河川敷は大学通りであり、一橋大学であり、谷保第一公園だった。

駅前のマクドナルドでどれだけ無益なおしゃべりに興じただろう。なっくるでどれだけのラーメンを食べただろう。谷保第一公園でどれだけ授業をサボっただろう。深夜の一橋大学でどれだけ悩みを相談しただろう。サイゼリヤでどれだけ文化祭の話し合いをしただろう。隙があればバンバンで歌い、たまの背伸びでシュベールに行き、大学通りや富士見通りを練り歩いた。

国立は小さな街だが、確かな雰囲気のある街だった。青春時代を国立で過ごせたのは僕の人生にとって良いことだったと思う。

だからこれからも僕は国立を時々訪れるだろうし、その度に僕は色々なことを思い出してしまうのだろうし、年齢を重ねることで国立の新しい側面を発見できたら良いなと思っている。