The Focal Distance

若さとはこんな淋しい春なのか

「本能」でガラスを割っていた椎名林檎はどこへ行ってしまったのか

まずはじめに断っておくと、僕は椎名林檎の熱烈なファンでは全然ない。有名な曲は聞いたことがある程度だ。最近の椎名林檎の活動となると、いよいよ怪しい。そういう人間が書いていると認識していただければ良いと思う。

さて、僕は椎名林檎がデビューした1998年に生まれた。それから十数年が経った今でも、椎名林檎は僕を含めた同年代(の一部)を惹きつけている。しかし、個人的には、惹きつけられるのは、「NIPPON」や「長く短い祭」ではなく、「本能」や「正しい街」や「罪と罰」や「ここでキスして」である。
先ほど「惹きつけられる」とした曲は全て、彼女が若い頃、つまり今聞いている僕たちと同じ年頃だったときに書かれたものである。椎名林檎も来年には40歳になる。いつまでも朝の山手通りで煙草の空き箱を捨てているわけにはいかないのだろう、とも思う。
だが、サッカーで日本を応援する歌を書き下ろしたり、五輪の閉会式の演出を担当していたりする椎名林檎を見ると、「随分と上手いこと変わってしまいましたね」という思いを抱いてしまうのは避けられない。「未来等 見ないで/確信出来る 現在だけ重ねて」と歌った椎名林檎、絶対国家やオリンピックになんか興味なかっただろ、と思ってしまう。

40や50になっても、青臭いような、鮮烈な歌を歌っている椎名林檎を見たかったような気はするが、そういう歌は若い頃にしか書けなかったのだろう、と理解することもできる。また、僕たちが椎名林檎を聞くようになったときには、すでに椎名林檎は変化したあとだったから、その変化を受け入れる/受け入れないの選択をする必要もなく、「最近の曲はあんまり響かないけど昔のは好き」などと軽く言うこともできる。

しかし、椎名林檎がデビューしたときに彼女と同年代で、その音楽に惹きこまれた世代はどう感じているのだろう。誰も彼もが、椎名林檎のように上手に変化を遂げることができるわけではないだろう。穂村弘が「青春ゾンビ」という言葉で表現していたが、青臭い思いを引きずったまま椎名林檎と同じだけ歳を重ねてしまった人もいるのではないだろうか。
そういった人が、最近の椎名林檎の活躍を目にするとき、寂しさや、ともすると「裏切られた」というような感情すら浮かび上がってしまうのではないだろうか。実際にどうなのかは、彼らと同世代ではない僕にはわからないのだが。