くらげの日記

概ね眠い19歳男の日記

面白かった本(2017)

今年も面白かった本を挙げていこうと思う。

今年もあんまり本が読めてないな。というか、新しい作家を全然発掘できていなく、というのももう好きな作家の著作を読んでいくだけで精一杯みたいなところはある。多分だんだん体力が無くなってきているのだろう。困ったものだ。

 

krg.hatenablog.com

昨年は上の記事。今年も順番は特に面白かった順とかではないです。

 

筒井康隆「旅のラゴス」 

旅のラゴス (新潮文庫)

旅のラゴス (新潮文庫)

 

面白い。というかもっと早く読むべきだった。筒井康隆は「家族八景」とか「最後の喫煙者」とか「文学部唯野教授」とかから入ったクチなのでなんというか皮肉屋なのだと思っていたけれど、旅のラゴスは「本当に筒井康隆が書いたのか?」と思ってしまうくらい真っ当に素敵な物語。

人生とは何か、技術とは何か、旅とは何か。旅のラゴスを読むといつでも壮大なスケールの世界に想いを馳せられる。

伊賀泰代「採用基準」

採用基準

採用基準

 

かの有名ブロガー「ちきりん」ではないかと専らの噂になっている伊賀泰代が、マッキンゼーにおける人事の経験からコンサルにおける採用基準などについて記した本、と思いきや、実際採用云々のエピソードも含まれているのだが、リーダーシップについての話が結構な割合を占め、そしてそこの主張がなかなか良いと感じた。

具体的にはリーダーシップっていうのは役職的なリーダーだけが持っているべきものではないんですよ、全員がリーダーシップを持って行動しなきゃいけないんですよ、といった感じ。これはインターン先で社員さんに勧められて読んだ。

伊藤計劃虐殺器官」 

虐殺器官 (ハヤカワ文庫JA)

虐殺器官 (ハヤカワ文庫JA)

 

僕はSFはそれなりに好きなので、伊藤計劃の名は昔から知っていた。書店で著作を手に取ったことも何度かある。しかし今年に入るまで実際に読むことはなかった。これは昨年も同じことを書いたが、やはり本というのは時宜を得られるまで読むことはできないし、その時が来たらすらすらと読めるものなのだろう。不思議だ。

というわけで虐殺器官を今一度手に取ったら読めたのでそのまま購入した。そしてその勢いでひたすら読んだ。面白かった。これがデビュー作か、と思うと凄まじい。

ヴィトゲンシュタイン論理哲学論考」(丘沢静也訳)

論理哲学論考 (光文社古典新訳文庫)

論理哲学論考 (光文社古典新訳文庫)

 

「論考」である。難解である。理解できたとは到底言えない。この本を生み出す知性とはなんなのだろうと思わされる。「これによって哲学の全てが解決した」とヴィトゲンシュタインは当時思ったらしいがマジでクールじゃないか。私などなんと凡庸な能力の持ち主だろうか。ちなみに岩波とかも出してると思うけれど安定の光文社古典新訳文庫を購入。同文庫は翻訳が本当に良質な気がしているので頑張ってほしい。

「論考」の最大のいいところは、何かあった時に「おいおい、俺の本棚には『論考』があるんだぜ?」と心の中でマウンティングできるところである。間違いない。

鷺沢萠葉桜の日

葉桜の日 (新潮文庫)

葉桜の日 (新潮文庫)

 

鷺沢萠は去年の記事に書いていると思い込んでいたが(そして去年の記事に書いた作家はなるべく出さないようにしているのだが)、出ていなかったので喜び勇んで出す。

彼女のエッセイは確か去年から読んでいたと思うのだが、実際彼女の小説を読んだのは今年に入ってからだしちょうど良い。というわけで葉桜の日である。この本には短編が2本収められていて、表題作の「葉桜の日」と「果実の舟を川に流して」である。私が特に感銘を受けたのは後者で、この作品は進学校に進みながらレールから外れ横浜の夜のお店で働く青年を主人公としている。鷺沢自身も学芸大の附属中から雪谷高校を経て上智大学に進学しながら、(彼女のエッセイから推察するところ)遊び呆けていた人間である。結果として大学を除籍になっている。作者が主人公の青年の心情として作者自身の感情を描いている感じがどことなくする。私もレールを踏み外しかかっているので大いに共感してしまうのだった。

この本に収められている作品は、どちらも20歳とか21歳で書かれたものだったと思うが、その年齢でこれを書く筆力は圧倒的だ。余談になるが鷺沢萠アンサイクロペディアは一見貶しているようでこれは結構な彼女のファンが書いたのだろうなと思う。愛されている。自殺なんかするべきじゃなかったのに。でも彼女が私の6歳の誕生日に命を落としたために彼女のことを知り、彼女の著作を読んでいると思うと感慨深い。とにかく、私にとって鷺沢萠は特別な作家だ。

オルダス・ハクスリー「すばらしい新世界」

ハヤカワはいい仕事をした。このディストピア小説の傑作を大森望が翻訳するなんて夢のようではないか。多分今年はカズオ・イシグロの作品で儲かっていると思うので何よりだ。

1984年」と同様のディストピア小説ではあるが、1984年が見るからに生きづらそうな世界なのに対してこちらの世界は一見かなり「幸福」な世界である。なんせ、副作用のないドラッグ的なものをキメて幸せな気分になってフリーセックスをしましょう、的な世界なのである。その実、この世界は徹底的な管理や抑制に基づいたディストピアでは確かにあるのだが、私が今生きている現実の世界、飢餓や貧困や戦争や暴力の絶えない世界と比べれば、ほとんどの人にとっては作中の世界の方が「幸福」なのではないか? と思わされるのだ。真実や知性というものは、平和や幸福がある程度社会に実現して初めて重要になるのではないだろうか。多くの人間にとっては、科学のシステムなんかより明日のご飯があることの方がずっと大事なのではないか、というようなことを考えさせられた。

小林章「欧文書体」・「欧文書体2」 

欧文書体―その背景と使い方 (新デザインガイド)

欧文書体―その背景と使い方 (新デザインガイド)

 
欧文書体 2 定番書体と演出法 (タイポグラフィの基本BOOK)

欧文書体 2 定番書体と演出法 (タイポグラフィの基本BOOK)

 

ずっと読みたかったのだが、大学の図書館にあった。 高い学費を(親が)払っている甲斐があるというものである。

この本から得られるたった1つの真実。書体は文化である。

日本戦没学生記念会きけ わだつみのこえ

きけ わだつみのこえ―日本戦没学生の手記 (岩波文庫)

きけ わだつみのこえ―日本戦没学生の手記 (岩波文庫)

 

戦争によって没した学生たちの手記をまとめた本。有名すぎるので今更紹介するまでもないのかもしれないが。

これを読んで戦前の日本にも民主主義の精神はきちんと存在したのだと思った。国民には、少なくとも高度な教育を受けた国民には民主主義の思想は存在していたのに、国家には存在しなかった。その残酷な失敗から私たちは何を学んだだろうか。そしていつの時代も学生は私たちの世代と大きくは変わらないような青臭いことを言っている。

手記を遺した学生たちが、例えば20年後に生まれていたら彼らは学徒出陣なんかで命を落とすことはなかっただろう。学生運動なんかに参加して立てこもりでもやっていたかもしれない。

その時代に生まれたというだけで人生を翻弄される。その時代に生まれていなかったら孫に囲まれて死ねたかもしれないのにその時代に生まれたがために海の藻屑となって死ぬ。私という一個人には、その「時代の流れ」を変えることは難しい。今のところ世の中はそんなに不穏でもないが、これからどうなるかはわからない。私とてこれらの手記を遺した学生のように戦禍のなかに死ぬのかもしれない。

人生って人間には全然どうにもならない部分があるな、と思って絶望してしまう。戦争だけが不幸ではないし、戦争によって幸福になる人間もどこかにはいるのかもしれないが、戦争は少なくとも起きて欲しくない、と自然に思う。

 

他にも読みはしたのだがいささか疲れてきたのでこの辺で終わりにする。気が向いたら追加しようと思う。

今年買ったのに積ん読になっている本や、ずっと読みかけている本がたくさんあるのでそういった本の一部は来年以降まとめられたらいいなと思う。来年も素敵な本に出会いたい。

国立の話

久しぶりにロージナ茶房に行き、国立を散歩したので色々と思うことがあった。

国立は僕が幼稚園から小学校にかけて住んでいた場所の最寄駅であり、中学の時通っていた塾がある場所であり、高校生活を送った場所である。

という訳で、大学に進学して実に久しぶりに国立という街から離れた生活を送っているのだが、だからこそ今国立を訪れると様々なことを思い出す。

僕の今までのロマンス(死語)も悪友(死語)とのひとときも受験勉強もほとんどすべて国立を舞台にして行われた。phaさんが「鴨川の河川敷を歩くと数メートルおきに思い出が浮かんできて危険だ」みたいなことを書いていた記憶があるが、僕にとっての鴨川の河川敷は大学通りであり、一橋大学であり、谷保第一公園だった。

駅前のマクドナルドでどれだけ無益なおしゃべりに興じただろう。なっくるでどれだけのラーメンを食べただろう。谷保第一公園でどれだけ授業をサボっただろう。深夜の一橋大学でどれだけ悩みを相談しただろう。サイゼリヤでどれだけ文化祭の話し合いをしただろう。隙があればバンバンで歌い、たまの背伸びでシュベールに行き、大学通りや富士見通りを練り歩いた。

国立は小さな街だが、確かな雰囲気のある街だった。青春時代を国立で過ごせたのは僕の人生にとって良いことだったと思う。

だからこれからも僕は国立を時々訪れるだろうし、その度に僕は色々なことを思い出してしまうのだろうし、年齢を重ねることで国立の新しい側面を発見できたら良いなと思っている。

生きていると死にやすくなる

生きていると次第に死にやすくなる、ということに気付いたのはいつだったろう。

最終的に生命がすべて死にたどり着く以上、それは当然のことなのだが、「寿命」とか「老化」といった肉体的な問題以外にも、死にやすさが増していく。

例えば、幼稚園の頃の私は、庇護を受けなければ暮らすことができないという点でもっとも脆弱かに見えるが、その実、例えば今庇護を与えてくれる者がいなくなったとしても、ほとんど自動的にまた別の者(親戚や自治体など)が庇護を与えてくれるという点で、実際には死から遠い場所にあるのだ。

また、幼い私は「大切にされる」一方であり、他者を大切にする、という感覚を持ち合わせていない。自分でない他人に何があっても、私はほとんど損なわれない。

 

それが今はどうだろう。

私は今なお親の庇護のもとで悠々と暮らしているが、それもあと数年のことだろう。他者の庇護を受けて暮らすハードルはどんどん上がって行く一方ではないか。そうしたら自分で自分の生活を維持していかなければならない。これは死に近い。

また、精神的にも脆くなる一方ではないだろうか。生きていれば、それなりにいろいろなことがあり、その中でお世話になった人、大切な人、というのも出てくる。そういった人の身に何かあったとき、私という人間までも損なわれる。大きく損なわれれば、死を選ぶこともあるだろう。

 

幼いころの、か弱い私が、実際には生物として一番強靭で、それなりに成長した今の私の方が、生物としてより脆弱だ。

「本能」でガラスを割っていた椎名林檎はどこへ行ってしまったのか

まずはじめに断っておくと、僕は椎名林檎の熱烈なファンでは全然ない。有名な曲は聞いたことがある程度だ。最近の椎名林檎の活動となると、いよいよ怪しい。そういう人間が書いていると認識していただければ良いと思う。

さて、僕は椎名林檎がデビューした1998年に生まれた。それから十数年が経った今でも、椎名林檎は僕を含めた同年代(の一部)を惹きつけている。しかし、個人的には、惹きつけられるのは、「NIPPON」や「長く短い祭」ではなく、「本能」や「正しい街」や「罪と罰」や「ここでキスして」である。
先ほど「惹きつけられる」とした曲は全て、彼女が若い頃、つまり今聞いている僕たちと同じ年頃だったときに書かれたものである。椎名林檎も来年には40歳になる。いつまでも朝の山手通りで煙草の空き箱を捨てているわけにはいかないのだろう、とも思う。
だが、サッカーで日本を応援する歌を書き下ろしたり、五輪の閉会式の演出を担当していたりする椎名林檎を見ると、「随分と上手いこと変わってしまいましたね」という思いを抱いてしまうのは避けられない。「未来等 見ないで/確信出来る 現在だけ重ねて」と歌った椎名林檎、絶対国家やオリンピックになんか興味なかっただろ、と思ってしまう。

40や50になっても、青臭いような、鮮烈な歌を歌っている椎名林檎を見たかったような気はするが、そういう歌は若い頃にしか書けなかったのだろう、と理解することもできる。また、僕たちが椎名林檎を聞くようになったときには、すでに椎名林檎は変化したあとだったから、その変化を受け入れる/受け入れないの選択をする必要もなく、「最近の曲はあんまり響かないけど昔のは好き」などと軽く言うこともできる。

しかし、椎名林檎がデビューしたときに彼女と同年代で、その音楽に惹きこまれた世代はどう感じているのだろう。誰も彼もが、椎名林檎のように上手に変化を遂げることができるわけではないだろう。穂村弘が「青春ゾンビ」という言葉で表現していたが、青臭い思いを引きずったまま椎名林檎と同じだけ歳を重ねてしまった人もいるのではないだろうか。
そういった人が、最近の椎名林檎の活躍を目にするとき、寂しさや、ともすると「裏切られた」というような感情すら浮かび上がってしまうのではないだろうか。実際にどうなのかは、彼らと同世代ではない僕にはわからないのだが。

形あるものをつくるということ

先日、知人が通う武蔵野美術大学にお邪魔した。

ムサビ自体もキャンパスの雰囲気が素敵な大学だなと思ったのだが、何よりも良いなと思ったのは形のあるものをつくっていることだった。

その知人は建築学科なので、製図をしたり模型をつくったりしていたのだが、それが私には新鮮に感じられた。

私はものをつくるということをしない人間ではない(広義には、ものをつくらない人間などいないだろうが、より狭義でものをつくる人間である)。しかし、つくるものは、プログラムや映像や画像やウェブサイトといった、コンピュータを用いるデジタルな領域に限られている。

それらは、触れることができるものとしては存在しない。印刷したり、フィルムにしたりすれば触れられるだろうが、それらはデータを物理的なメディアに記録した形に過ぎず、それを言うのであればすでにSSDやHDDに記録されている。誰もソースコードそのものには触れることができない。

その点、建築は触れることができるものとして存在している。
森博嗣は(彼自身も建築学科の教員であったが)、小説『すべてがFになる』の中で20年以上前の作品にもかかわらず今で言うところのVRを登場させ、将来にはエネルギー節減の観点からVRの中で人は暮らすことになるだろうと予言した。触れることの重要性を別の登場人物が指摘すると、触覚などのフィードバックも機械によって実現できるだろうとした。

ここから私が主張したいのは、何れにせよ「触れられる」のは重要である、ということだ。触覚のフィードバックはスマートフォンでも行われるようになった。そのコストをかけてまで、人間には触れられることが必要なのだと思う。

しかし私は、形あるものをつくることができない。そして、私が大学で専攻する(ことになっている)政治も、触れられるものではない。そういう点で、形あるものをつくることができ、形あるものを生み出すことを専攻できることを、羨ましく思ったのだった。

60年代に生まれたかった

僕は1998年の生まれだ。

2002年に幼稚園に入った。2005年に小学校に入った。小学校を出る直前に東日本大震災があった。2014年に高校に入った。2017年に大学生になった。

うまく行けば、2021年に大学を卒業する。

僕が成長して来た時代は、日本という国が着実に衰退を遂げて来た時代である。

いつの日か、「(人間は進歩しているのだから)今が、今までで一番いい時代」というような文言を見た記憶がある。なるほど、世界全体で見ればそれは正しいのかもしれない。そもそも人間が「進歩」しているか、疑問は残るが。

しかし日本の一番「いい時代」は、今ではないと思われる。

やり場のない閉塞感、余裕のない社会、目的を見失った政治、複雑化する世界、そのような世の中で僕らは育ってきた。そして、先行きに希望を持つことは、非常に難しい。同世代の人間がどう思っているか知らないが、「日本という国はすぐに滅びるかもしれない」という思いを持ちながら僕は生きている。僕はこの国が、特にこの国の都市や自然や文学が好きなのに。

60年代に生まれて、80年代に大学生活を送りたかったなとたまに思う。

80年代と現代の日本人では、物質的な豊かさはほとんど変わらないのではないだろうか(あるいは、大学生に限っては、行く人が限られていた分前者の方が豊かだった可能性も大いにある)。

穂村弘鷺沢萠のエッセイには、80年代の大学生活(二人とも、奇しくも上智大学を出ている)についての描写がある。そこに描かれているのは、きらびやかで、自由で、文化的にも豊かな大学生活である。それは、高度経済成長を遂げ、世界屈指の経済大国となり、物質的な豊かさを享受し、精神的な豊かさを志向するようになった日本社会の反映であるように見える。そして、未来には希望がある。

もちろん彼らが生まれ育った時代は冷戦の真っ只中だったし、まだまだ社会には現在から見れば「古い」思考が残っていたのかもしれないし、そこに生まれ育った人たちは「現代の方が良い」という可能性もあるが、しかし、未来への希望はあったはずだ。それとも若者はいつの時代も未来に不安を持っていたものだろうか?

僕が生まれた1998年は村上龍が「希望の国エクソダス」を連載し始めた年である。「この国には希望だけがない」と村上龍が書いてから約20年、この国には依然として希望はないし、それどころか「物質的な豊かさ」やそれを享受できる平穏な社会までも失われつつあるのではないだろうか。僕はそんなことを思いながら今日もまた自堕落な大学生活を送る。

新宿と渋谷

世の中の人間は二つに大別される。新宿が好きな人間と、渋谷が好きな人間である。新宿も渋谷も好き、というような人間は、どちらも本当には好きではないのと同じである。

僕は街を意味もなく練り歩くのが好きなのだが、それは祖母の影響である。祖母が小さい頃に僕をあちこち連れまわしてくれたおかげで、そのような気性を得ることになった。
その祖母は渋谷を好むが、僕は新宿が好きである。
もっとも、僕は多摩の田舎の育ちであり、新宿にも渋谷にも詳しいとは到底言えないのだが、それでも歩いていて感じる雰囲気の差から新宿を好む。

まず、新宿も渋谷も猥雑だという点で共通しているが、新宿は持たざる者に優しく、渋谷はそうでない感じがする。というか、新宿という街は誰でも受け入れてくれる感がある。その点渋谷は一定の基準を満たした者、おしゃれであるとか、若いとか、お金を持っているとか、そう云った人間しか受け入れてくれないと思う。テロリストのパラソルは渋谷が舞台になることはないであろう。新宿を歩いていても疎外されていると思うことはないが、渋谷は僕にとってアウェイである。これは新宿は中央線の文化圏であり、渋谷はそうでないというところによるのではないかと思っている。 

新宿や渋谷に連なる街を考えればわかりやすいかもしれない。新宿からぶらぶらと歩いていると新大久保に至り高田馬場に至る。渋谷からぶらぶらと歩いていると青山に至り表参道に至り原宿に至る。

渋谷で、歩いていて落ち着くと感じるのは、唯一鍋島松濤公園のあたりである。あの辺は閑静な高級住宅街で、やはり僕とは人種が違うのだが、それでも鍋島松濤公園がいい公園であるからだろうか。